親は誰だ!

 おむつ替え、授乳、寝かしつけとお世話に追われ、気づけば1ヶ月が経った。生後1ヶ月のイベントといえば1ヶ月検診だ。私たちもごたぶんに漏れず病院へ向かった。
小児科の待合室に入ると、看護師さんにひなちゃんを預け、身体測定などの検査をしてもらった。ひなちゃんが待合室に帰って来て数十分、私たちの名前が呼ばれ診察室に入った。
ひなちゃんは1ヶ月前の退院時よりも1キロ増え、股関節の開き具合も良好で、原子反射も正常だった。順調に成長していると先生に言われ、日々の育児の報酬をいただけたような気がした。
帰りがけにはこれから毎月打つ予防接種の説明を看護師さんから受けた。予防接種手帳がいること、予防接種の申込書には氏名や住所などの記入事項がたくさんあること、今後の予防接種スケジュールのことと内容は多岐にわたった。
ただこれらの説明を受けたのは付き添いで来てもらっていた夫の母だった。私たちは目が見えない。そのため目の見える夫の母を看護師さんは選び、いくつかの資料を示しながら説明をしたのだ。
私たちに向けられた言葉は帰りがけの
「次回もお母様来られますか?付き添いの方と一緒にお越しください。」
というものだった。私は部外者になったような無力感にさいなまれた。
確かに私は普通の文字を読むことはできない。初めての場所を一人で歩くことも容易ではない。
しかし目が見えなくても、普通の文字が書けなくても、ひなちゃんの親は他でもない私たちだ。あくまで見える家族や友人は、私たちのサポートをしてくれる存在であり、当然私たちが主体となり子育てをしている。
次回の予防接種にしても、必ずしも同じ支援者が来るとは限らない。だからこそ私たちが中心となり、説明を聞く必要があったのだ。たとえその時書類を書けなかったとしても、書くべき内容や方法を聞き点字でメモを取り、後で代筆を頼むことだってできる。いくらでも方法はあるのだ。
看護師さんの対応に戸惑い、何も提案できなかった自分にも辟易とした。
 健常者が初めて私たちのような全盲の視覚障碍者を前にすると、何もできないように見えるのかもしれない。実際には多くの家事をこなし、仕事をし、時折旅行にも行き、見える人と同じように生きている。そして他の親と同じように、意思を持ち日々工夫を重ね子育てもしている。
今回の検診のように、目の見えない私たちが子育ての主体者とみなされない瞬間はこの先いくらでも訪れる。もちろん一つ一つの出来事を気にしてはいられない。ちょっと落ち込んだらまた気を取り直して進んでいきたいと思う。
次に私がすべきことは、自分でできることや少し目を借りればできるようになることを理解してもらうための行動だ。当然そのためには、見える人が私たちをどうとらえ、私たちに対し何を思うのか理解し、謙虚に受け止めていく姿勢も大切だ。
まずは次回の検診で、私たちがしっかりと看護師さんや先生と話し、できることや手伝ってほしいことを伝えてみようと思う。
 そんなもやもやとした予防接種の説明の後、帰り支度を始めると、それまでおとなしかったひなちゃんがだっこひもの中でもぞもぞと動き出した。そして
「うわー、うわー、うわー!!!」
と大きな声で泣き出したのだ。どうやらお腹が空いたようだった。
ひなちゃんの泣き声は次第に大きくなり、他の赤ちゃんも何人か泣き出してしまった。赤ちゃんの泣き声は伝染するらしい!
私はいたたまれない気分になり、ひなちゃんが泣き止むよう体を揺らしながら過ごした。
それからひとしきり泣くと、ひなちゃんは疲れ寝てしまった。ちょうどその時、手続きが完了し私たちの名前が呼ばれ帰ることとなった。
結果ひなちゃんが、他の子供たちが泣くようけしかけ、自分はぐーぐー眠りながらご帰宅という微妙に迷惑をかけた退産となった。
ひなちゃんの行動にはひやひやさせられたけれど、いつでもどこでもお構いなくマイペースに過ごすひなちゃんにちょっと励まされた。私ももっと強く大胆に、そして笑顔でひなちゃんを育てていきたい。

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