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どうする!バースプラン その1

 32週の妊婦健診時、助産師さんから「バースプラン」の提出を求められた。バースプランは満足のいくお産ひいては産後生活のため、出産時や入院中病院に希望することや、自分がしたいことをリスト化したものだ。
妊娠し初めて私はバースプランの存在を知った。
もちろん私たちは普通の文字を書けない。そこで内容をあらかじめ考えておき、提出当日助産師さんに代筆してもらった。
私たちが挙げた希望は13個と多かった。
「まあ出せるだけ出してみよう。だめなものは断られるでしょう。」
と「言う分はただだから」精神でリストを作った。
結果的には私たちが挙げたすべての希望が受け入れられた。
 まずバースプラン前半、一つ目から七つ目の内容についてである。
一つ目は「計画無痛分娩の希望」だ。
私はもともと痛みに弱く、陣痛など恐怖でしかなく、産む前から死の危険すらも感じていた。そこで無痛分娩を希望した。
当然無痛とはいうものの痛みはゼロにならなかった。正確には痛みを幾分か和らげる和痛分娩だった。
それでも私にとっては人生最大の痛みとなったほどで、本当に無痛分娩で良かったと思う。
また病院では無痛分娩のうち計画無痛分娩のみを受け入れていた。私はいつ来るかもわからない陣痛に怯え続けることもなく、あらかじめ決めた日に病院に入り、出産に挑むことができた。
産後手伝いに来てくれる母とも予定が立てやすかった部分は良かった点だ。
 二つ目は「お産時看護師さんや助産師さんに小まめに様子を見に来てほしい」という希望だ。
実際出産時は、麻酔や促進剤の管理のため、30分置きに陣痛室へ様子を見に来てくれた。
陣痛に耐えながら一人で過ごす時間は長く孤独で、見に来てもらえる度に(ああ、気にかけてもらえている。忘れられてないぞ。)と思え安心した。
 三つ目は「お産の進行状況をなるべく言葉で説明してほしい」という希望だ。
お腹の中にいる赤ちゃんの体制や子宮口の開き具合、赤ちゃんの頭の下がり具合などは産む私にもわからない。そんな中お産の進み具合を言葉で説明してもらえたことで、出産というゴールまで見通しが立ち、モチベーションアップにつながった。
 四つ目は「前向きな声かけをしてほしい」という希望だ。
一見フワッとした内容であるが、私にとっては切実な願いだった。
前述のとおり私は痛みに弱く、厳しいことを言われると落ち込むタイプだ。はっきり言ってポンコツなのだ。
つわりで力を使い果たしてガス欠状態で挑む出産に、
「もっと頑張れ」
とか
「お母さんになるんだからしっかりして」
とか言われると途中で心が折れそうな気がしていた。
そこで
「頑張っているね」
とか
「その調子」
などと出来栄えはさておきとりあえず褒めてもらうスタンスで対応してもらうことにした。
おかげで出産時には
「上手に力めてるね」、
「すごいよ。あともう少し」
と助産師さんや看護師さんは優しい言葉をかけてくれ、無事乗り切れた。
 五つ目は「ぬいぐるみの持ち込み希望」だ。
私が持ち込んだぬいぐるみはオオサンショウウオだ。
一見グロテスクな様相を呈しているかもしれないが、見た目にだまされることなかれ。このオオサンショウウオはかなり役に立ったのである。
オオサンショウウオはフワフワモチモチとした材質で、とても気持ちいい。入院中寝る時には、腰の下や大きなお腹とマットレスの間に挟み、体を安定させることに使った。陣痛がきつい時には、オオサンショウウオのボディーを握りしめながら耐えた。
看護師さんには
「え、なに?トカゲ?リアルー!!!」
と驚かれたし、内心気持ち悪いと思われたことだろう。しかし、私にとっては出産の間支えてくれた大切な相棒だ。
 六つ目は「ウィダーインゼリーやプリンなど、食べやすいものの持ち込み」の希望だ。
産むまでつわりの続いた私にとって、病院食以外に自分が吐かずに食べられるものを持ち込むことは重要だった。私はウィダーインゼリーとカロリーメイトとポカリスエットを持参した。
特に促進剤を使って陣痛を起こさせた三日間は、吐き気がありほとんどご飯を食べられなかった。そこで日中の麻酔が切れ、少し回復した夜中に持参したカロリーメイトをボソボソと食べ、若干の空腹を満たした。
 七つ目は「家族に病室で電話をかけたい」という希望だ。
出産時の入院はつわりの時の大部屋と違い個室だったため、病室から24時間いつでも電話することができた。病院はコロナ禍ということで、分娩時の立会い以外面会謝絶となっていた。
そこで、入院日から退院日まで毎日夫と病室で電話をし状況を伝え合った。産後は特に、新しく生まれたひなちゃん以外、家族に会えない病院は心細かった。そんな中夫や実家の家族と電話で話せたことは気分転換になった。
(後半に続く)

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