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教育って、なんだ

ある看護学校が、(正しくは、看護学校の教員たちが)パワハラで訴えられている。学生と、その保護者に。何年かにわたって学生に対し暴言を吐いていたそうだが、暴言とか人格否定する言葉って必要なんだろうか。

ときに、厳しくなることも必要だろう。でも、彼らは高校を卒業した、18歳もしくはそれ以上の年だ。なんなら、選挙権だってある。それが大人の証明かどうかは定かではないが。

ゴーレム効果とピグマリオン効果、という言葉がある。期待を持って関われば人はその期待以上の結果をだす。しかし、周囲の期待が低いと、そのとおりにパフォーマンスが低下する。相対する効果だ。

我が身に当てはめると、改めて「効果」と言われなくても、わかると思うんだけど、「私だって、そうやって育てられた」とか「そうやって教育されてきた」と思うと、期待して育てるのが損な気がするのか、はたまたそうであった自分の過去を自己否定するような気がしてできないのか、どうなのか。

我が子や、パートナーや、親にもそういう風に接しているんだろうか。

日々、学生と接して感じることは、みんな個性がキラキラしていて、この輝く個性をひとまとめにしないで、ひとりひとりのいいところを伸ばしていく力量が自分にあるのだろうかという思いだ。

看護学生として、どうあるべきか。それ以前に、人としてどうあるべきか。そこの根底の部分が、根がしっかりしていないと、そこから上の幹や葉の部分は伸びない。留年生もいるこのクラス、浪人して入学してきた子もいるクラス。人それぞれだ。多分看護師になることがゴールじゃないはずだ。国家試験に合格するのがゴールじゃないはずだ。臨床の場で、国家試験に合格して就職すればゴールだと思っていた新卒の子がどうなるのか、よく見てきた。そこから先のことは考えていないから、現実を目の当たりにして盛大につまずく。そこからどう盛り返すかは、根がしっかりしているかどうかで大きく分かれてきたのを見てきた。

看護師として、生きる人として、恥じることなく自分の背中を見せられるか。教員じゃなく、職業人として学生と関わっていきたいと思う。

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