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我々は便器ではない

昨日、知り合いからLINE電話がかかってきた。

日本人の彼女は年下のマレーシア人と結婚して10年ほど経つが、その間ずっと旦那の浮気や金銭問題に悩まされている。

彼女はその度に周りの友人たちに連絡を取って愚痴を言い、我々は「またかよ…」と思いつつ、「早く別れなよ」といつも同じアドバイスをする。

が、しばらくするとまた電話がかかってきて、アドバイスなど聞いていなかったかのように「浮気されたー」「お金貸してって言われたー」という話を同じように聞かされる。

昨日はさすがにもう疲れたので「ずっと同じ話をされて、それに対して同じアドバイス毎回するのも疲れるんだよね」と言ったら「わたしの事情を全部知らないくせにそんなこと言わないでよ!」と怒り出した。

もうどうでもいいやと思い、「俺だけじゃないよ、共通の知り合いもだいたい同じこと言ってるよ」と言ったら「誰それ?名前は?」と聞いてくる。
嘘はついていないけど、さすがにその知り合いたちに迷惑が掛かるので名前を言わないでいると、「ひどーい、わたしと旦那のことを裏でみんないろいろと噂したりして」ときた。

おーい、何かある度に愚痴られてストレス解消の捌け口にされてるのはこっちだぞー。

汚い喩えだが、彼女にとって我々はトイレの便器みたいなものではないか。

排便したくなったら電話して全部ぶちまけて、我々は心配して解決策を考えて彼女に伝える。
が、彼女自身がしたいのはあくまですっきりすることだけなのであって、そういったアドバイスなどは必要としていないから、うんうんとだけ聞いて、はースッキリしたわぁで終わり。ジャーっと流してトイレを後にする。

で、次また便意が高まったら電話をかけて気持ち良くまた排便。この繰り返しだ。

以前も電話越しに泣きながら「もう離婚するー」と言うので、何度目だよ…と思いながらも「うん、そうしたほうがいいよ」と勧めてみたけど、半年くらいしたらまた電話がかかってきて「もう別れるー」と。

彼女にとっては、話を聞いてアドバイスする我々は人ではない、ただの便器だ。
じゃないと平気でこんなこと何度も繰り返せるわけがない。

アドバイスをもらった人は、それをくれた人に対してある程度責任を負うのは当たり前ではないだろうか。

もちろん、相談した方がそのアドバイスに従わないといけないという意味ではない。

そのアドバイスを自分できっちり吟味・消化して、「ありがとう、その方向で動きました」あるいは「ごめんね、別の決断をしました」と、せめて次の電話で言うべきだろう。

だって、我々は彼女の話を聞いて考えて、良かれと思ってアドバイスをしているんだから。
じゃないと、聞いてアドバイスをする側は愚痴という排泄物をただただ流し込まれる便器と変わりがない。

「みんなひどーい、わたしの事情何もわかってないのにそんなこと陰で言い合ってるなんて!」と怒り続けるのに辟易して途中で電話を切った後、暗ーい気持ちでしばらく悶々としてしまった。

祝日の俺の幸せな気分を返してくれー。
あ、返してくれなくてもいいから、もうこの手の便意解消の電話はかけてこないでくれー。お願いだから。

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