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空が見える窓

子供の頃から空を見上げるのが好きだった。動く雲や刻々と色が変わってゆく夕焼けの空をじーっと眺めているのが好きだった。

初めてヒコーキに乗った時に、ああ、私は今、見上げていたあの雲の向こう側にいるんだと思って気持ちがすごく高揚したのを覚えている。空を見ながら、あの雲の向こう側はどうなってるんだろう。と想像を巡らせるのが好きだった。特に、曇り空の鼠色の雲の向こう側に光が挿していたりすると、向こう側に広がっているであろうオレンジ色の光を想像して、わくわくドキドキして、そのうち、その空の向こう側の地球に想いを馳せるようになった。想像の中で雲の向こうに行った気持ちに浸るのは今でもおんなじだ。

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今の自宅のリビングからは空が見える。寝っ転がると目の前に空が広がる。動く雲も見える。南側なので、残念ながら夕焼け空は見えない。ベランダから西の方向に首を伸ばすと端っこは見えるけど。去年、会社から休業を命じられて自宅にいることが多くなってからは、空が見える窓際のサイドテーブルにPCを置いて、毎日空を見ながら在宅仕事をした。この家に引っ越してきて、本当に良かったと思った。

私の記憶は、「場面と匂い」で残っている。初めてハワイに行った時はその空の青さと日本と違う海の匂い。本物の青って、これだったんだ、って思った。初めてパリに出張した時は、薄い水色の空と街中にある日本とは違うカラフルな花の色とちょっと湿気たような空気にクロワッサンとコーヒーの混ざった匂い。ロンドンは東京に似たグレーと茶色の都会の街の排気ガスの匂い。5年半いたニューヨーク。マンハッタンにいたけど思い出すのは高い空と朝の締まった空気、デリのいろんなものが混ざった匂い。あとはセントラルパークの木々の匂い。夏の空を見上げると、カリブの空を思い出して空に吸い込まれて地球の向こう側に連れて行ってもらいたくなる。笑 

当たり前だけど、空は繋がっていて、国境もなくて、みんなに平等で。こっちが晴れでも向こう側は雨だったり、こっちが嵐でも向こう側はぴーかんだったりする。そういうことを考えていると、なんだか自分の悩んでることもどうでも良く思えたりする。だけど同時に、生きるってどういうことだろう、これからの人生どう生きるべきなのか、そんなことを考えてう〜んとなることもある。

窓から見える空は私にいろんなことを気がつかせてくれる。

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