古い音・古くない音⑭

ほとんど読まれなかったようですが、昨日竹内まりやさんの「象牙海岸」に触れたので、やはり林哲司さんが作曲した「悲しい色やね」について考えてみたいと思います。

実際に歌っているのは上田正樹さんであることは言うまでもありません。

名前は良く知りませんが、編曲者は違っていたはずです。

で曲のリリースは82年、「象牙海岸」と2年しか違いませんでした。

でもあまり聴いて「古さ」は感じないんですよね。

これは別に編曲者の優劣の問題ではありません。

「象牙海岸」は新しいものを作ろうとしていたんだと思うんですよ。

それに対して「悲しい色やね」は新しいものを作ろうとしていなかったんだと思います。

これは売り出し方の問題で、どちらがいいか、と言った問題ではありません。

ただ、「新しい」と考えた時点で、それは大きく「時代性」を含んでしまいます。

もちろんそういうことと無関係に作品を作ろうとしても、もちろん「時代性」から逃れることは難しいのですが、「時代性」は強く出てはきません。

もちろんその「時代」自体が古ければ「古い音」になりますが、80年位になると、そう言った要素は薄れてくると思います。

もちろん時代性を感じる部分はあるのですが、70年代と比べるとそういう要素は格段に低くなってきます。

恐らく洋楽との関係性にあるのですが、その辺は改めて書きたいと思います。

この位の時期になると、70年代の「歌謡曲」が変わってくるんですよね。

70年代では時代を意識しなくても、音楽自体が全体的に古かったが故に、70年代の音楽しか生まれなかった。

一方、80年代になるといわゆる「シティ・ポップ」が全盛期を迎える訳ですが、やはり今聴くと古いんですよね。

それは先ほど書いた通りで「新しさ」を追求したからです。

ただ「シティ・ポップ」の存在はこれまでの音楽を変えていったんですよね。

だから「普通の音楽」が「時代」を意識しないで作ると程よく古くない、これまでとは違ったものになったのかと。一方で「シティ・ポップ」は古くなる訳ですが。

今「シティ・ポップ」が見直されていますが、それは時代の文脈の中で捉えられている話であり、やはり音自体は古いです。

実際に聴かれる方も多いので、音楽が一巡した、という考えもありますし、これまでの「シティ・ポップ」を聴いたことのない層は「斬新さ」を感じるかもしれませんが、前後関係から「シティ・ポップ」を捉えた場合、古いとしか言いようがありません。

そしてこれが先ほど挙げた2つの作品の「聴こえ方」の差異となる訳です。

もちろんこれは結果論でしかありませんが。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。