作曲・編曲129
今日は一昨日の話に戻り、編曲者の変化について考えたいと思います。
と思ったのですが、今日書こうと考えていた話、編曲だけで留まる話ではないということに気が付きました。
編曲だけではなく、作曲、作詞も含めて人間の手なんていらなくなるのではないか、という点です。
自動作曲ソフトなんて普通にあるし、作詞もAIツールで自動で作れる時代ですから。
多分編曲が一番ハードルが高いでしょう。
もちろんそれがオリジナリティの高いものか、といえばそうはならないと考えています。
これまでの作品を元に生成している訳で、逆に言うと型破りな曲なり詩は作りにくいでしょうから。これまでの作品の単純な延長線上でしか作れない。
で、逆にそういう意味だと、編曲の方が自動化しやすいはず。
革新的な作曲や歌詞は求められたとしても、革新的な編曲というものはそうそう求められない。
一昨日も書きましたが、現実問題としてスタッフや作曲者の見解なりに左右されやすい業務ですから。特に曲や詩が新しいものであれば、そこを中和するために編曲はオーソドックスにいった方が無難でしょう。
もちろんそんなに革新的な作品がある数多くある訳ではありません。
ただ、特に作曲者は自分で制作した作品を「オリジナリティの高いもの」と認識する傾向が強いです。
聴き手にとって平凡な曲であっても、作っている側はそう思ってはいません。平凡な曲を書こうと思って書く人なんてどこにもいませんから(笑)。誰もが書いている曲ではないものを書こうと思って作るものです。
で、そういう曲を書く方って、新しい曲を書いたつもりで単純な循環コードの曲を書いてしまう保守的な方が多いから、新しいものを求めようとはしないものです。
だからこそ自動作曲が成り立つ(笑)。
むしろその事に自覚的な方の方が新しい曲を書くし、編曲でもオリジナリティを発揮する。
でもそういう方は少ないでしょう。
どんどん話が逸れてきているので、一旦今日はここで中断し、その理由について、明日もう少し深く考えてみたいと思います。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。