演奏が上手いということ②

続きを書くつもりは無かったんですけれど、何か書き足りないような気がしたので、続きを書くことにしました。

以前から何回か書いている話ですが、楽器って弾かないことも弾くことの一部なんですよ。

でそこにある空間というか隙間のような部分が大切だったりする。

もちろん、弾く時は弾いてもいいんですよ。

音楽って緊張と弛緩なんですよ。常に張りつめているような演奏には「緊張」しかない。

ただやはり演奏者って、「弾きたい」という気持ちはあるものだと思っています。

あのミュージックステーションの方は単なる自己顕示欲でしかないと思いますが、そういう方でなくても、弾きすぎてしまう場合が多い。

演奏するって単純に楽しいことですからね。

その割に自分、今は全然演奏せず、全部DTMだけど(笑)。

ただ、やはり演奏者たるもの、「楽しい」だけでやってはダメなんですよ。

大切なことは聴き手に自分の演奏をどのように届けるか、ということです。

これも何度も書いている話ですが、聴き手なしに音楽は成立しません。

ただ、それだけではないんですよ。

アクロバティックな演奏をして、凄いなあ、と聴き手が感じてもそれは音楽に対してではないんだと思います。

野球で160Kmのボールを投げるのと一緒です。

そういう意味の凄さでしかない(160kmは凄いけど)。

それはあくまでも手段であって目的ではない。

まあ野球と音楽を並べること自体が変かもしれませんが(笑)。

ただ、それだけの技術を持っていることは間違いなく役に立つ。

けれど、技術を競う訳ではないんですよ。

その技術を使って、演奏して、人の心に何かしらの反応を与えることが目的でしょう。

で、技術ばかり強調すると、聴き手はどうしてもその技術の方に耳がいってしまう。

あくまでも聴かせるのは音楽なのに、音楽がどこかにいってしまう。

だから上手い演奏者というのは抑制の仕方を知っています。

上手い人は本能で弾いている、と勘違いしている方も現実にはいます。

ただ、本能だけではダメなんですよ。

どのように自己をコントロール出来るか、そのことを理解しているのが一流の演奏者です。

そのことをもう少し理解していれば、あのような演奏にはならないでしょう。

まあ悪い見本としてはいいんだろうな(笑)。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。