天才・秀才③

ではミュージシャン毎にどうしてこの方が天才なのか、もしくは秀才なのかについて書いていきたいと思います。

最初の「天才」で挙げたのは宇多田ヒカルさんですが、この方の場合「秀才」的な要素もあるので、後に回します。

なので最初は桑田佳祐さんからいきます。

この方、有名な話ですが、譜面が読めません。なのにあれだけ多くの名曲を残している、これって天才の証拠なんですよ。

譜面は努力すれば誰でも読めるものです。逆に言うと譜面が読めないというのは努力していないのか、もはやその必要がないのか、どちらかしかないんですよ。

努力をしている方の場合、基礎から学んでいることがほとんどです。というのは努力をする、ということ自体も一つの才能であって、こつこつと地道に進んでいくから、過程をあまり飛ばさないんですよ。

なので、音楽的知識が豊富だし、自分の作品がどういう位置づけのものかということを、意識しているかどうかは別にして、把握しています。だからあまり突拍子もないことは出来ないし、やったとしても、計算の上でやっているので、それが見えてしまうんですよね。

だから秀才にはこれまでの音楽の文脈から外れた「勝手にシンドバッド」みたいな曲は書けないでしょう。

あれをほとんど勢いでやってしまう、というのはやはり天才なんですよ。あの曲に「計算」は感じられないんですよね。

しかも何から何までぶっ飛んでますよね。あの作品。

でも紛れもない名曲。

まあ自分が同じことをやれたとしても、やってみたいとは思いませんが、紛れもなく、桑田佳祐さんが天才であることの証、といっていい作品でしょう。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。