ミュージシャン④宇多田ヒカル~28 「真夏の通り雨」

今日からテーマを元に戻して、宇多田ヒカルさん、復活です(笑)。

この曲は同時配信ということもあり、かつ母親を意識しているが故に「花束を君に」と対で語られることが多い作品のようですが、作品としては正反対な作品だと思います。

イントロの短さ(というより「花束を君に」は全くありませんし、こちらもピアノでコードが歌の直前に入るだけ)やオケがピアノだけで始まる部分が共通だ、と言われれば確かにそうですが、それは全く作品の本質とは関係ありません。

まあそんな曲ならいくらでもありますし(笑)。

「花束を君に」のコード進行は比較的機能的であったのに対し、こちらは機能性の欠片もありません。

ただの和音の連なりに近いイメージです。どちらかと言うと旋律的な作品と言った方がいいかもしれません。

でこの曲、違う解釈をする方もいらっしゃるようですが、明確なサビ始まりの作品です。まあどちらかと言うと「chorus」と言ったほうがいいのかもしれませんが。

この曲は基本二部構成なので、サビと勘違いされやすい部分は「bridge」と呼ぶのが適切でしょう。

最後にもう一度出てくる=この作品の根幹、ということだと思います。最後は再度「bridge」と同じ要素が出てきますが、これはエンディングと呼ぶべき部分でしょう。

もちろん、本来の意味のAとかBって、いわゆる日本で言うところのAメロやBメロとは違い、単なる曲の構成を意味する言葉なので、AとかBという限りではむしろ正しいです。

4つ打ちに近いサビ(冒頭の部分を指しています)のピアノも勇気あるなあ、と思います。

でドラムがキックだけ(笑)。

ドラム屋さんが来てドラムを叩かずに帰っていく、ある意味シュールですよね。

ある意味「花束を君に」がオーソドックスなアレンジと言っても良いのですが、こちらは全くもってオーソドックスではありません。ピアノとストリングスだけ、というのはオーソドックスですが、そこにキックだけ入れる、というのは並大抵では思いつかないことです。

後はベースも薄めに入っているのと、効果音的な音だけでしょう。コーラスすら効果音的な使われ方に近いと思います(元々宇多田ヒカルさんの場合、コーラスをそういう形で使うことが多いのですが、「Fantôme」で更に進化していますよね)。

前にも書きましたが、このキックが心音のように聴こえて、独特の雰囲気を生み出しているんですよね。楽器はこう弾かれるべき、とかそういった既成概念を取っ払ったところに存在している作品なんですよね。

正に「芸術」と呼ぶに値する作品だと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。