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教育のありがたみ。

こんばんは、またまたお久しぶりです。
この歳になって思うのですが、教育って大事ですよね。
そんなわけで、私の過去に触れつつ、
教育について思うことを言語化してみたいと思います。

私は人に教えることが意外と好きだ。
これは勉強に関わらず、色々な分野において言えると思う。

私は昔から勉強が得意というわけではなかった。
それは親が1番よくわかっていたことだと思う。
その結果、幼少期から様々な分野で教育には厳しくされてきた。

幼稚園受験、小学校受験、中学校受験、高校受験、大学受験。
受験方法は様々であるが、受験というものをたくさん経験してきた。

ただ私が道を大きくずれることなく育ったのは、
私の意思を親が確認してくれていたからだと思う。
とは言っても、顔色を伺って自分を苦しめたのも事実だ。

幼稚園受験は完全に親の意向だった。
わけもわからず、面接をした。
主に親を見ているので、私はあまり関係なかったかもしれないし、
そもそもこれに関しての記憶が私にはない。

入園した幼稚園は小学校受験が当たり前の場所で、
もはやこの先公立の学校に行くほうが少数派のようなところだった。
親同士の付き合いは本当に大変だったと思う。
お互いがどこの小学校をお受験するのか伺うようなところで、
お茶という情報交換会。日常茶飯事だった。

この日のことは今でも覚えている。
ある日私の母が私に聞いたのだ。
黒いランドセルと制服を着て、電車に乗って学校に行くのと、
家の近くの学校、どちらが良い?
私は即答した。黒いランドセルと制服が着たい。
それからは地獄のような日々だったと記憶している。
幼稚園が終わったら教室に通って、それが終わったら家で幼稚園の課題。
それが終わったらお教室の復習にお受験対策。
土日もお教室に通う日々。
私以上に焦っていたのは母だった。
それでも私はこれを頑張れば、黒いランドセルが持てることと、
なんだかんだ母と走って過ごす毎日が楽しかったのだと思う。

無事に小学校受験を終えて、春から憧れの黒いランドセルと制服を着て、
電車に乗って学校に通うようになった。
そこからの6年間もまた、母にとっては辛い6年だったと思う。
私が入学した学校は全員がエスカレーター式で中学校、高校に行ける所ではなかった。
またお互いを探る日々が高学年になると顕著に現れた。
子供にはわからない親同士のバトル。

そして私自身も1番忙しかったのは小学校だと思う。
学校が終わると途中の駅で母が待機をしていて、
ランドセルと塾のリュックを交換した。
塾が終わると学校の課題と塾の課題。
並行して両親は勉強だけが全てではないことに理解があったため、
クラシックバレエ、ピアノ、水泳、習字、ゴルフを習わさせてくれた。
ほとんど全て自分でやりたいと言ったものだ。
習字とゴルフ以外は全て10年ほど習っている計算だ。
クラシックバレエは週3回、あとは全て週1回だったが、
週2回の塾と合わせると習い事のはしごは当たり前で、
放課後に遊んだ記憶がない。
もちろん土日に家族で1日お出かけも、習い事でほとんどなかった。
一人っ子だったこともあって、全てのお金を自分につぎ込まれているという
プレッシャーもあったし、こんなにお金をかけていただいているのに
勉強ができない自分も嫌だった。
色々なことがあったが、それでも中学校はそのまま上がることができた。

流石に中学校では習い事は1つに絞ったが、
それでも勉強漬けで生きている子と比べると圧倒的に勉強量が不足しており
下から数えた方が早かった。
それでも1番楽しかったのが中学校だ。
周りのレベルはあまりにも高かったが、お互いがお互いを認め合い、
助け合い、本当に毎日が楽しかった。
教師にも恵まれて、充実した日々だった。
もともとその中学校から内部進学で高校に上がれる人は全体の3割だった。
それもあって、多くの人が高校受験を経験する。
同時に一番の挫折を味わった。

高校受験は第一志望に合格することができず、かなりレベルを下げた。
当然周りの学力レベルも下がるが、それでもそれなりに楽しめたのは、
周りの子達が教養に溢れていたからだと思う。
いじめなどもなく、とても平和でのびのびと過ごすことができたし、
両親を失望させたかもしれないが、
ようやく自分にあったレベルの学校に入学ができて、
内心ホッとしていた部分もあった。
それでも悔しいという気持ちもあった。
人生で初めての経験だったと思う。
今まではできないことが当たり前で半ば諦めていた部分もあったのだが、
両親が整備してくれていた綺麗なレールを外れてしまった申し訳なさと
自分はここでおさまっていいのかという葛藤。
楽しさを感じながらも、複雑な気持ちを抱えた結果、
一発勝負に弱い自分は指定校推薦しか道はないと思った。
高校3年間は本当に勉強を頑張ったと今でも自信を持って言える。
ずる賢く生きる力、真面目さ、負けず嫌いさ、
今社会人としても生きている自分の武器を身につけたと思う。

大学では入学時から就職活動を意識していた。
高校1年生の時の夢を絶対叶えるために、体育会系の部活に所属し、
そこで結果を残すことに励んだ。
母の助言もあり、リスク管理の必要性から教職課程も履修した。
加えてダブルスクール、ボランティア活動、アルバイトを行った。
途中でコロナという想定外の出来事もあったが、
毎日分刻みのスケジュールをこなし、完遂した。

近年、親ガチャという言葉がある。
正直私は子ガチャ的には大外れだと思う。
それでも両親は私の可能性を常に信じてくれて、
教育に関して惜しみなくお金を出してくれた。
ホームステイをしてみたいと言えば、即答でいいよと言ってくれた。
塾に通いたいと言えば、すぐに手配をしてくれたし、
大学のダブルスクールも夢のためにと母が勧めてくれた。
本当に感謝でしかない。
だからこそ夢を叶えても、希望する会社ではないという現状、
「完全に夢を叶えられていないこと」に罪悪感がある。
私の人生は母なしでは色々な意味でできなかった。

だからこそ、自分が子供をもった際には、
教育に惜しみなくお金を出せる人間でありたいと思う。
自分のエゴでこの世に存在させるのだから、不自由な思いはさせられない。
そして勉強だけが教育ではないことをしっかり理解する。
人として、何が正しいのか。
今の時代を生きるために必要な武器がもてるような教育を受けさせたい。
それが親から圧力になるのかもしれないが、大切なことだと私は考える。

そして社会人になったから学びを終えるのではなく、
生涯を通して学びの連続なのだから、年齢で諦めることなく、
自分を高め続けられる人でありたいと思う。

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