自意識と装い
人々の多様性を礼賛する風潮の結果、ロリィタファッションは今や街の風景の一部になった。もう着ていても人目を惹かない、普遍的なものに。ロリィタ、とはまた違うかもしれないが、私の働くカフェエの制服はロリィタ"風"のとても可愛らしいものなのだけど堂々と外に着ていってもなんの人目も浴びないし、友人はOzzOnで購入した素敵で派手な中華風ワンピースを着ているが、心無い目線や言動を浴びたことはない。
当時のロリィタちゃんたちはたしかにその好奇の目を嫌っていた。とはいえ、その一方で人と違った美意識を持つ自分、特別な自分を保証してくれる唯一無二のものだった。その視線が消えた時ーもちろんそれ以外の多様な原因が複雑な網目をつくった結果なのだがー彼女たちもまた街から姿を消した。いち時期に比べ数が減ってしまったロリィタちゃんとブランド。
現代はファッション(メゾン)が流行らないと言われている。その理由には一般的にはファストファッションの隆盛が挙げられるけれど、本当にそれだけなのかしら。「多様性の肯定」ー多様な価値観に対する肯定ーがファッションの生態系を破壊したとは言えないだろうか。
奇抜なファッションは人を避けるための鎧だった。周囲のつまらない人たちと、ダサダサの人たちと自分は違うという確信を得るための、孤独へと導かれるための牢。そうではなくなってしまった以上、モードも然り個性的な装いはある程度意味をなさなくなってしまったのかもしれない。
個性が丸ごと受け入れられてしまう世の中で、上っ面の個性は普遍になってしまった。それでもなお着たいと思える服はなんだろう。こんなにいろいろ言った割には、私は自分の美意識に囚われていつまでもロリィタ、ヴィヴィアン、MILKの甘くて少しとげとげの呪いから抜け出せないのだけど。
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