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#143 #THANKUmbro



2001年に遠藤保仁が来た。
2002年に西野朗が来た。
そして2003年にアンブロが来た。

黄金期はそこから始まった。



私は2005年からガンバを見始めたから、アンブロのガンバしか知らない。
そして例えば、私はサンガファンとしての側面も持つが、サプライヤーを務めたミズノやプーマの商品をとりとめ意識的に買おうと思った事はそんなに無かったのだが、アンブロとガンバノミクス関係性まで行くとやっぱり手が伸びた。同じガンバファンは多かった事だろう。サッカーを実際にやってた頃もアンブロのスパイク履いてたし。

そして今回の件で、デサント株式会社とガンバの関係も終了する事になる。
ガンバはどちらかと言えばアンブロではなくデサントと契約していた。要はデサントがアンブロのブランドを持っているという立場で、かつてガンバのユニフォームがアディダスやルコックを採用していた時からデサントと付き合いをしている訳である。即ち、1997年のアディダス時代に、青と黒の縦縞というこのクラブのアイデンティティを植え付けたのは他でもなくデサントの時代だった(提案したのは礒貝洋光らしい)。
アンブロのユニフォーム、デサントと築いた縦縞のデザイン……クラブとしてこういうアイデンティティを確立できた歴史は財産であり、Jリーグの中でも一つのキャラクターとして築き上げた。よくガンバファンでない人からも「ガンバのユニフォームは好き」という言葉を聞く度に、どこか喜ばしい気持ちに勝手になったものである。


今回の両者の決断について、何かを迂闊に言おうとは思わない。どちらが言い出した事なのかはわからないし、交渉の段階で上手くいかなかったのかもしれない。
ただ、2022年はガンバとアンブロの20シーズン目だった。キリは良かったんだと思う。今思えば2021年、ガンバが30周年を迎えたあの年、レギュラーユニフォームはおろか、リミテッドユニフォームや周年ユニフォームですらテンプレートデザインを使わざるを得ないチームがある中で、あの年のガンバとデサントはオリジナルデザインのユニフォームを4つも製作した。本当の最後は2022年の2つのデザインなのだが、ガンバにとってもデサントにとっても、2021年の怒涛の仕事ぶりがラストダンスのようなものだったのだろう。歴代ユニフォームをパッチワーク的につなぎ合わせた30周年記念ユニフォームは、アンブロ以上にガンバとデサントの歴史の象徴だった。



来年からはヒュンメルにサプライヤーが変わる。それでもきっと、来年もパナスタにアンブロの菱形を配したユニフォームを纏って景色に溶け込む人間は多いだろう。アンブロとデサントとガンバ大阪──それだけこのブランドはクラブに根付いたし、クラブのブランドさえも築いた。
栄光は常に菱形のロゴと共にあった。2005年の劇的な初優勝、黄金の中盤の躍動、ACL制覇とマンチェスター・ユナイテッドとの激闘、魅惑の攻撃サッカー、J1昇格即三冠……動画や写真、或いは記憶の中で美しい記憶に浸りたい時、いつもそこには縦縞のユニフォームと菱形のロゴがいる。誰がなんと言おうと、これは誇るべき美しい歴史であり、軌跡だ。デサントには感謝しかないし、一つのブランドとここまでの関係を築けたガンバも素晴らしいと思う。次のヒュンメルともそういう関係を引き継いでほしいし、願わくばこれまでに歩んだ方向を踏襲してほしい。


2020年に遠藤保仁が去った。
2021年にエンブレムが去った。
そして2022年にアンブロが去る。

永遠はない。いつか時代は変わる。
それでも美しい記憶であり続ける。

アンブロ、デサント、ありがとうございました。
あのユニフォームは何よりの誇りでした。

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