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#188 30周年記念 GLAY検定2024の解答と解説〜難易度LEVEL DEVIL編〜

メインブログに記載した「GLAY検定2024」の解答と解説です。
問題はこちら



Q1→④
GLAY加入前に所属していたバンドのボーカルに名前を聞かれた際にとっさに「JIRO」と答えた事がきっかけで、TAKUROらと親交を持った時には既にJIROで定着していた。本名は和山義仁なのでかすってもおらず、なぜJIROと言ったのかは本人もわかっていないらしい。ちなみにTAKUROとHISASHIは下の名前をそのまま、TERUは本名のてるひこを略したもの。

Q2→④
オノ・ヨーコの「天井の絵」からの着想で、自分を肯定してくれる言葉を身体に刻みたかったとの事。GLAYのライブでは一本締めのようなノリで、TAKUROの動きに合わせて「yes!!」で〆るのが通例。

Q3→③
特定のジャンルに捉われず、様々な音楽の影響を受けたと語るTAKUROだが、その中でもB・BLUEに関してはTERUの声を見つけた時と同様に「人生を変えた」とまで語っている。ちなみにJIROも同曲を初めて聴いた時に椅子から転げ落ちたとか…。

Q4→①
事務所独立後の最初のシングルとして発売。ただしタイトル自体は当時から「GLAY4人」「4曲入り」といった解釈がされていたが、全曲TAKUROが手がけると共に「ROCK'N'ROLL SWINDLE」以外の3曲がカップリング集に収録されているなど、G4シリーズ特有の「メンバー4人がそれぞれが手がけた曲をA面4曲扱いで収録する」というコンセプトはまだ定まっていなかった。このコンセプトが定着したのは2011年発売の「G4・II -THE RED MOON-」から。

Q5→①
前述の2006年発売の「G4」に収録されている。

Q6→③
①はJIRO、②はTAKURO、④はTERU。ちなみにHISASHIは1998年の放送では当時の髪型を指して「雨ガッパ」とも呼ばれた。

Q7→②
2021年下半期に横浜アリーナで計4回ライブを行った事が影響したのか、鉄板の会場間違いネタを久々に発動。

Q8→②
初めて食べた魚が鮎だった事が由来。

Q9→③
1998年のPuresoulツアー中にTAKUROと2人で乗ったバギーが大クラッシュを起こした事がきっかけ。「ビリビリクラッシュメン」との一致は偶然だが、放送開始時点で最新のJIRO作曲楽曲だった事もあって現在もオープニングのBGMには同曲が使用されている。

Q10→③
「RHAPSODY」から「口唇」への繋ぎでギターソロ部分のみ演奏された。DVDの収録曲クレジット等ではALL I WANTも演奏曲と記載されている一方、WOWOW放送時の収録曲一覧ではRHAPSODYの次曲が口唇になっており、扱いは媒体によって若干異なる。

Q11→②
15周年記念シングルとしてリリースされた。オリコン集計の関係上、シングルは基本的に水曜日にされる事が多いが、5月25日に合わせる為に月曜日に発売している。

Q12→②
GLAY EXPO 2001東京公演が該当。それもあって同ライブでJIROは特製のサッカーユニフォームを衣装として着用した。

Q13→①
このエピソードはHISASHIの天才エピソードとしてTAKUROの口から度々語られている。

Q14→③
歌詞カードでは20回だが、音源では最後にもう一度繰り返される。「YAVAI」のインパクトが全面に出ているが、実質的にはイントロの延長とアウトロとしてしか使われていない。

Q15→④
両日とも演奏された楽曲は④の他に「GREAT VACATION」「Julia(RAINの原曲)」「ピーク果てしなくソウル限りなく」「BEAUTIFUL DREAMER」「ACID HEAD」の6曲。

Q16→③
ファンの間でも「どすこいカレー」でお馴染み。他の3曲もファンやネット上で空耳曲と言われており、HISASHI自身も④は候補だったとTwitterで語っている。

Q17→③
サビの部分。ドキュメンタリー映画「GLAY pure soul MOVIE~ここではない、どこかへ~」でTERUやTAKUROがこの歌詞で歌う様子が確認できる。

Q18→②
TAKUROの作家性が強い作品として知られている③は作詞は全てTAKUROだが「neverland」のみJIROが作曲している。TAKUROが全曲の作詞作曲を務めているという意味では④も該当するが、「Holy Knight」のみHISASHIとの共同作曲となっている(AUDIO 2 AUDIO名義)。

Q19→④
TERUが作った麻婆茄子を食べて克服。それ以降はお店でも食べられるようになったらしい。

Q20→④
JIROの胸から膝までがジャケットとして映されている。

Q21→②
1999年のアルバム「HEAVY GAUGE」からシングルカットされる形で放送日にシングルがリリースされた。余談も余談だが、この日にサザンオールスターズが演奏した楽曲は当時はシングル発売前だった「TSUNAMI」である。

Q22→③
「Way of Difference」は2月、後の2曲はいずれも7月後半に2週連続リリースで発売されている。

Q23→④
アンコールにて演奏された。①②③はいずれもEXPOでの演奏頻度は意外にも少なく、特に③はライブ定番曲でありながらEXPOでは2001年石狩公演と2004年しか演奏されていない。

Q24→②
セットリストの記載はないが、HOWEVERのアウトロ部分では当時まだ未発表だったJIRO作曲の「運命論」ワンフレーズがマッシュアップされている。

Q25→④
配信やライブMCで「ライブ前日に立川で迷子になった」と本人が自虐している。

Q26→④
Q1で言及したGLAY加入以前に所属していたバンドはピエロの事で、JIROと名乗るきっかけとギターからベースへの転向はいずれもピエロ時代だった。

Q27→③
なお②は存在しないが、2019年のライブではライブセットに「外村建設」なる看板が造られていた。

Q28→④
①は7番目、②は5番目、③は6番目。

Q29→③
Q18でも言及したが、TAKUROとHISASHIが共作した際にはこの名称が用いられ、自社レーベル「LSG」のアーティスト欄にも名を連ねている。combinat 12は2004年まで使用していたAUDIO 2 AUDIOの旧名にあたる。

Q30→①
HISASHIの第2回での発言。月先輩はLUNA SEA、ぺけ先輩はぺけ→バツ→×→XでX JAPANのこと。ちなみに②③は第1回、④は第3回でのTERUの発言である。

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