嫌われる勇気なんてなかった話

今日は僕が中学1年の時の話。自分という人間を変えてしまったであろう1年間のお話をします(具体的な時期は記憶のズレがあるかも)。




小学校6年生まで、自分は地元の学校ですくすくと育っていた。
友達もたくさんいたし、成績も良かったし、学校に行くのも楽しかった。
小中一貫?みたいな学校だったので、中学も同じようなメンバーで過ごすはずだった。


でも、父親の仕事の都合で、僕は一時的に地元を離れることになった。それも海外。中国の上海に住むことになったのだ。あまり詳しい経緯は覚えていないけれど、1年か2年の間、上海の日本人学校に通うということになった。

僕自身少し寂しい気持ちもあったけど、まあしばらくしたら帰ってくるし。なんか面白そうだし。と、当時は思っていて、あまり嫌だなという感情はなかった。
むしろ小学校卒業するときに、みんながとても悲しんでくれたり応援してくれたり、そしてサプライズで色紙をくれたりもして、とても嬉しかった。たくさんの人に見送られて旅立つのは正直気持ちが良いものだった。




いざ、上海。




知り合いが誰もいない全く新しい環境に緊張しながら、学校が始まった。小学校の時から日本人学校にいて、そのまま上がってきている人がクラスの9割だったので、僕はいわゆるアウェー。最初はなかなか馴染めなかった。
でも、同じような新参者同士で少しずつ打ち解けることから始まり、クラスのみんなとお話できるようになるのにそんなに時間はかからなかった。



まあ1年のうち、4月から12月くらいまでは正直全然楽しかったの。
良くも悪くもいろんなことに気がつかなかったから。



小学校までの環境と日本人学校での環境の一番の違いは、そこにいる人たちだった。僕の小学校は比較的優秀な人たちが集まる有名な学校だった。一方で、日本人学校というのはその場所にいる全ての学生が集まるところ。つまり、いろんな生徒がピンからキリまでいるということ。
実際、僕のクラスにもいろいろな人がいた。

勉強も運動もアホみたいにできて性格も良い、完璧な優等生女子。
特別に看護の先生がいつもついてる、言語障害をもった男の子。
運動神経抜群のイケメン男子から、オタクオーラ満載の陰キャ男子。
一人で読書をするタイプの静かな女子から、キャピキャピオーラ全開の女子。

今思えば、全国の学生の平均を取ったのかってくらい広い幅の人がいたように思う。僕は最初はどんな風に思われていたのかな。

あと、特徴として大きかったのは顕著なスクールカースト。具体的に表現できないけど、クラスの中心にいる集団はいつも一緒って感じだった。正直、上位層の人たちの雰囲気にはついていけなかったけど、仲良くはできてた気がする。




じゃあ一体僕の身に何が起きたのか。
始まりはある一人の女の子と付き合ったことだった。




まあ実際それまでも色々あったんだけど、その女の子(以後Mさん)と付き合ったのは10月ごろだった。一応スクールカーストの一番上のグループにいる人の一人だった。クラスのみんなからもチヤホヤされて、最初はラブラブしてた気がする。




でも、それはたった2ヶ月で崩れた。




結論から言うと、12月ごろにMさんがグループからハブられちゃって、居場所を失ってしまった。なんかもともと悪い噂は立ってたらしいね。そんなの全く気づかなかったけど。


こういう時、僕の立ち位置ってどうなるんだろう。
まあ本当に好きなら彼女の味方をするんだろうけど。僕はそうはできなくて。


クラスの中心にいる十人くらいの男女を敵に回して、居場所のない一人の女の子を助ける強さは当時の僕にはなかった。今までの人生ではたくさんの人に愛されてるのが当たり前だったからこそ、クラスと言う集団では常に愛される存在でありたかったのかな。

僕は彼女を見捨てて、自分がクラスで生き残ることを選んだ。



ここからどんどん胸糞の悪い話になっていく。



カーストの一番上から一番下に落とされたMさんは数日して学校に来なくなった。いわゆる不登校状態。でも僕はまだ付き合ってはいて、メールでやりとりはしてた。
励ましたり、学校来て欲しいって言ったりした。彼女の味方であるフリをしていた。



そう、もうこの時点で僕は闇落ち。

学校ではすでにカースト上位の人たちとMさんを理由につるんでいて、ある計画が進められていた。Mさんにとって唯一の心の拠り所である「僕」が最後に裏切ることでいじめてやろうぜっていう。だからずっと寄り添っているフリをしていた。学校に来て欲しいって言ってた。
最終的には、みんなで考えたひどい文面の手紙を僕がMさんに渡すという計画だった。つまり「みんなでいじめたいから学校に来い」という魂胆だった。


今思い返せば道徳もクソもないちゃんとしたいじめ行為。

でも当時の僕は何の悪気もなくやってた気がする。みんなの先頭に立っていろんな人とお話しながら生活する日々が正直楽しかった。その状態の居心地が良かったんだと思う。最低だ。

結局Mさんは数日ぶりに学校に来て、僕も手紙を渡して、二人の関係は終わった。



これが原因かどうかははっきりしないけど、Mさんは年末前に日本に帰国することになった。日本人学校は割と不定期な生徒の出入りがあるので珍しいことではなかったけど。久しぶりに学校に来て死んだような顔で別れの挨拶をして、Mさんは完全に僕らの前から姿を消した。
こうして12月が終わった。







まあこの後何が起きたのか。何となく想像できるだろうけど。

驚くほど自然な流れで標的が僕に変わったのね。






まあ物理的な被害を加えられることはなかったし、話せる人も何人かはいたけど。聞こえるように陰口を言われたり、言うことを聞いてくれなかったりするって感じかな(不運にもその時学級委員だった)。
なんかどうやら僕自身も随分前から嫌われていたらしくて。そんなの全然わからなかったよ。それまでいいように使われていたみたい。

それからは毎日学校行くのがほんとに辛かった。学校に僕の居場所はもうなかった。家に帰ったら親には「今日も楽しかったよ」って言う生活。いじめられっ子のテンプレみたいな。




幸いにも僕には「1年で日本に帰る」と言う選択肢が残されていたので、3月まで耐えた。あの日見たMさんのように、死んだ顔でお別れの挨拶をして、中学2年から僕は日本に戻った。逃げるように帰国した。

これで1年終わり。中2からは見知った環境で普通に生活してたよ。





いや、お前。
自分がやったことわかってるか?
自分が人にやったことがそのまま自分に返ってきただけやん。




おそらくMさんが受けた苦しみや辛さに比べれば、僕の仕打ちなんて大したことなかった。僕が自分の苦しみに文句を言う資格はない。

ただ僕はたった半年の間に、人を傷つける経験と人に傷つけられる経験をして、随分と人間が怖くなったみたい。




まず思ったのは、人が人を嫌うっていう負の感情は見えてないだけでいろんなところにあるんだなって。いや、僕が今まで見てこなかっただけかもしれないけど。人間って結構簡単に人を嫌ってるんだなって思ったよ。

前述したけど、僕は結構前から嫌われてたらしくて。Mさんと付き合ったあたりからすでに噂は始まってたみたい。

怖くね?まじで。何にも知らんかったよ。怖いよほんとに。
だって知らぬ間に身近な人に嫌われてるんだよ。怖すぎるよ。



もう一つ怖いのは、人を傷つける自分に当時何の罪悪感もなかったこと。いじめに加担するっていうのはそういうことなのかもしれん。本当に信じるべき人は違う人だったのだろうけど、自分が嫌われることだけは本当に嫌だった。みんなに愛されていたかった。







まあ地元の恵まれた環境でずっと愛されて生活するよりは、良い意味で怖い経験ができたのかもしれない。

ただ帰国してから僕は極度に人に嫌われることを恐れるようになった。人の目を気にしすぎたり、人の機嫌にすぐ気付いたりする気質ができあがったのは、一度人間関係の渦にもみくちゃにされたからだと思ってる。



大学生まできて、意外と人は信用できるんだな、とか思ってはいるけど。でも、目の前にいる人が知らないところで悪口を言ってるかも、という不安は消えない。
だって怖いもの。嫌われるという見えない恐怖を知ってしまったから。




これくらいの経験意外とみんなあるのかな。過去として黙って抱えてるだけなのかな。それだったらわざわざ吐き出してごめんなさい。


人を傷つけたという罪を背負ってこれからも生きていきます。