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ネバービリヤニ(2020/10 月報)

 どうも。最近ゲーム仲間の間で「Tarkov」ブームが再燃していることに加えて、個人的にも前から気になっていた「FE風花雪月」を買ってしまい、ここ最近は余暇の時間をほぼ全てゲームに投入していました。
 結果先月の逆噴射振り返りもしなければ月報も書かずに半月過ぎてしまったわけですが、間を開けると記憶が薄れて月報とか振り返りの効果が薄くなるので良くないですね。

 で、タイトルの話なんですが、私の家の近所のカレー屋が知らぬ間に閉店していたんですよ。「○日に閉店します」とか「閉店しました」とかその手の告知すらなく、なんか最近たまに通るとシャッター閉まってるなと思って(私自身の外出頻度と行動ルートの関係で偶然かと思っていた)、まさかと調べたらしばらく前に閉店していたことを知った次第。

 インド人の店主がやっている割と本格的に”向こうの味”という雰囲気のカレーの店で、その割にリーズナブルで、味や雰囲気なども気に入っていたお店だっただけに残念。悔やむぐらいならもっと行って金を落としておけば、と思わなくもないですが、もともとコロナ禍以前から客数的に大丈夫か……という雰囲気はあり、そこに上乗せしてこういう時勢となってしまうと、あまりに不幸だったと言うほかない。お店の関係者がこの先良い感じに乗り切っていってくれることを祈るばかりです。

 で、悔やまれるのがタイトル通り同店のビリヤニを食べそこねたこと。いつからだったか新メニューとしてビリヤニ始めましたという看板を置いていまして、その看板を見る度に「ビリヤニ、名前だけは聞くけど実際食べたこと無いんだよなあ、次来たら食べてみようかなあ」などと思っていただけにショックが大きい。

 そもそもカレー屋に行くときは頭がカレーの気分になっているからカレー屋に行っているんであって、いざ入店してからビリヤニという未知の料理にシフトするのは気分的に難しいところがある。今にして思えばどこかでビリヤニ自体を目的化して店に行っておくべきだったんだなあと思います。
 今後どこか別の店などで食べる機会はあるかも知れませんが、あの店のビリヤニがどうだったかを知る機会は永久に失われてしまった。

 些細ながら何事もこういう具合で「そのうち試してみよう」が通用しなくなることはありうるのだと再認識させられた感があり、改めて自分の先送り癖には気をつけたいなあと思った出来事でしたね……。

ゲーム

 10月ほとんどTarkovとApexしかやっていなかったので書くことがない。自分の体と精神のサイクルが久々に「対人FPS期」に入ってきていますね。

 とりあえずApexはシーズン6の途中に復帰して両スプリットプラチナまで行ったので、この手のゲームのランクマッチを久々に真面目に遊んだ身としては、「自分も全体からしたらそれなりにゲーム”できる”方なんじゃん」と体感できたので、何か自信が付いた感があります。
 とは言えあくまで「それなり」で、それ以上ではありえないというのも痛いほど思い知らさせられましたが……(プラチナ入った瞬間勝てなくなる)

DOOM

 対人FPSの合間に遊んでとりあえず一周クリアまで。終盤に行くほど面白くなるゲームだった……というより、終盤の戦闘ラッシュの激しさ高難易度さ、それに比例するプレイヤー側の火力・アクション性能のインフレの上で初めて真髄が味わえるゲームだった、という印象ですね。

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 特に白眉だったのが終盤にいくつかあるボス戦で、何が凄いってもうボスの体力ゲージが何の説明もなく堂々と出てきちゃうんですよね。いい意味で凄まじく”ゲーム的”な演出で、「ここがボス部屋でコイツはボスだ! さあ殺し合え!」と一発でわからせてくれる。
 上下に揺さぶったり先読み誘導してくる攻撃パターンをジャンプや誘導ムーブを駆使して華麗にかわし、攻撃前後の隙に合わせてこちらも一撃。まさにアクションゲームの原初的体験そのものという感じのクラシックな手触りが最高。

 ゲーム全体としてはところどころ移動パートなどでテンションが中だるみ気味になってしまっているのが本当に惜しいと思いますが、やはりあれだけ高評価を受けただけはある良いゲームだなと思えました。そのうちエターナルもやりたいですね。

アニメ

けいおん!

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00G0E6GAI/ref=atv_dp_share_cu_r

 超今更ながら初見だったんですよ。06年~あたりの深夜アニメブーム(?)(誰によって?)(ニュアンスで伝わってほしい)直撃世代ではあるんですが、当時視聴環境がなかったり世間体を気にして見ていなかったりで、恥ずかしながら又聞き程度でしか知らない作品が多いんですよね。

 内容自体は文句なしというか、まさに当時から言われる伝統と信頼の「京アニクオリティ」だなというところ。流石に一部時代を感じてしまう要素もチラホラありますが、作画、ストーリーの流れ、演出ととても安定して面白く、特にキャラの立ち位置とバランス感覚は、後の「部活モノ」にどれほど影響を与えたのだろうと思わせられる絶妙さ。

 他方、全体としてコメディタッチでデフォルメ多めのトーンながら、所々で見られる繊細な感情の機微や関係性の表現からは、なるほどこれが「ユーフォ」に繋がっていくのかな、と感じられる部分もありました。もっともここは実際どこまでスタッフ共通なのか微妙なところですし、私の側が後知恵でバイアスかけて見てしまっている部分は大きそうですが……

 また、アニメ自体は未見ながら、ネットには当時から入り浸っていたため、(当時けいおん由来と認識していたかに関わらず)今更「当時見たアレはここが元ネタか!」と気付けるようなシーンが数多くあり、改めて当時のネットカルチャーに人気アニメが与えていた影響の大きさなどを実感できた次第。

 その中でも個人的に印象深いものになったのが6話のライブシーン。いきなりPV調になるのも驚きましたが、その中の一瞬のカットですげえ見慣れた絵が目に入ってきたんですよね。秒数的には19:03です。見た瞬間に「これは完全に下のAAの元絵だ」と気づいて、誇張抜きに声が出ました。

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AAMZ 人間・モブ14からスクショで引用)

 ……さすがに色々説明が必要でしょう。一部界隈には「やる夫スレ」というカルチャーがあります。上のような「AA(アスキーアート)」を組み合わせてストーリーを作ったりとかする2ch系掲示板発祥の遊びなんですが、私はやる夫スレ関連を読み漁っていた時期が長く、そっちの観点からすると、このAAは「喜ぶ群衆」みたいな場面で長らくよく見てきたものなんですよ。

 AAというものはアニメのキャプチャや関連イラスト、漫画のコマなどをベースに作られているものが多く、やる夫スレ界隈においては、汎用的でストーリーに使いやすいAAがあれば、元ネタなどあまり気にせず利用されることが一般的。
 実際このAAも、まとめサイトでは「群衆」という括りでしか扱われておらず、元ネタの情報などは欠損しています。私としてもこのAA自体は漠然と「喜ぶ群衆のAA」とまでしか認識していませんでした。

 しかし、このAAは汎用的に出てくるにしては後ろの人の何とも言えないポーズや髪型・服装などかなり個性が強く、良くも悪くも印象に残ってしまう。
 一応、多分何かのアニメのワンシーンなんだろう……というあたりまでは想像できていたんですが、それにしてもどういう作品のどういう場面なんだ? とはうっすら気にはなっていたところ。

 それがまさか「けいおん!」ほどの有名作を見ている時に元ネタに突き当たるとは! しかも作品の基本的な世界観から離れたPV内の一瞬のカットのAA化だったとは!

 非常に込み入った、かつニッチな形ですが、なにかネットカルチャーの歴史……当時の深夜アニメの影響力の大きさ……ひいては個人的なインターネット体験史……そういったものに思いを馳せてしまい、大きな衝撃を受けました。なんか半分以上けいおん無関係な自分語りになってますねこれ。まあニッチなところから名作が副次的に与えた影響の大きさを実感した話ということで……

逆噴射小説大賞

 参加者の方は改めてお疲れさまでした。本当は単体で振り返りを書こうと思っていたんですが、完全に時期を逸したのでここでまとめてサクッとやってしまいます。

 総じて、とにかく今年を通しての創作意欲の低さからくる小説書いてなさ、生活スタイルの変化による小説読んでなさ、というプラクティス不足が如実に出てしまったなと思います。去年一昨年と比べると書く時間はたっぷりあったのに、いざエディタに向かっても全然書けない!

 一応アイデア出して文を書くまで行ったものは他にも数作あったんですが、結局どれも800文字に面白くまとまりきらず没に。
 もともと纏まらなかった数アイデアを本命王道パルプ枠(?)、「宇宙の~」と「フランドル」は変化球枠として自分の中での全体バランスを考えていたのに、結果的には変化球2本だけが終盤にギリギリまとまった、という形になりました。この点は正直なところ不本意ですね。

 そういうわけで、全体として色々と反省したい点は多いですが、「フランドルの獅子たち」に関しては、題材選びという一点でかなりの変化球ながら、単に自分の趣味に走ったというだけではなく、割と戦略的な発想で書いていた部分があります。実際頂けた感想ツイートなどから見ると、結果的に無事この戦略がハマったんじゃないかという実感があり、かなり満足の行く出来に。

 一応狙いを書き残しておくと、まず物語に限らず、新商品とか新作ゲームとか、新しいものを作るときに「真新しい要素」と「一般的に馴染んだ要素」の比率バランスを意識しました/意識しましょう、という趣旨の話はよく聞かれます。

 この点、ロードレースは現状日本一般でマイナー競技だから、題材に選んだだけで一定の真新しさがある(「弱ペ」の存在は特異点として……)。少なくとも逆噴射小説大賞の参加者内では特殊な立ち位置になるはず。
 なので、題材だけロードレースとして、設定も奇を衒わず現実現代、駆け引きとか心情に関しても丁寧に現実的に王道ど真ん中、というぐらいでも、結果的に新規性と王道感は丁度いいぐらいのバランスになるんじゃないか……という算段があり、加えて個人的にもロードはレースも見てるし自分でも多少は乗っているので、逆噴射センセイが言うところの「REAL」をやれるなるんじゃないか、という狙いがあったんですね。

 ロードレース自体それなりに見てきて、本当に駆け引きが面白いスポーツだし、これを元に一度なにか作ってみたい……と思ってきた部分を多少なり充足できて満足。レースの終盤をスタートにしたことで短くまとまりそうな感じにもなっていますし、これは気が向いたらキッチリ終わりまでやりたいところではありますね。

まとめ

 概して遊んだ範囲が狭い月でした! 10月は対人FPSやってるか逆噴射小説書いてるかのどちらかだったので、まあ月報として概観するとこうなるだろうという感じ。

 しかしまあ、今年は色々グダグダしながら逆噴射小説大賞シーズンを迎えてしまい、いざ何か書こうと思った途端に色々ボロボロになったので、あまり自覚できていなかった不調をハッキリ突きつけられたような感がありました。
 在宅勤務由来の刺激のなさなどが原因で不調なのか、もともと不調なところを在宅のおかげでかろうじて不調をごまかせて来ていたのか……多分混合してますが。

 しみじみと思うのは、作業内容が明確でストレートに進んでくれる仕事かさもなくば不労所得が欲しい、スパッと気持ちよく仕事してスパッと遊ぶか、仕事の心配など皆無で年中遊ぶかどっちかにしたい、というようなことですね……。身も蓋もなさすぎる。何はともあれ、今月はこんなところです。

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