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2022年8月5日


先月あたりに自分の世界がゆがんだ。

正しいと思っていた現実が完全に否定されたから生きていることが罪で、

自分という存在は死ぬべきだと呪った。呪いながら眠った。

目が覚めせていつもの仕事をこなす。

自分という存在があまりにも信じられなくて、逃げたくて殺したくて殺したくてしょうがなかった。

現実に否定された自分という存在があまりにも罪だと思った。

存在そのものが罪だと。

だけどそれと同時に死ぬことがどれほどの「罪」か認識していたから死ぬことは赦さなかった。

死んでしまう恐怖よりも死ぬことが「罪」だったから生きた。働いた。

泣けなかった。その時の自分は強く呪って壊れていた。

それでも自分を、自分という存在概念を呪った。

ゆっくりできて考えた。

どうして、生きていられたんだろう? って。

今でもどうして生きていられたのか、覚えない。

メンタルクリニックからの薬、精神安定剤で今はふつうに生活できてる。

逆にもう薬が手放せない。定時間に飲まないと不安で不安でしょうがない。

最近になって寝ることも難しくなって睡眠の質を上げる薬すら増えた。

その薬を飲まないと「寝た」という認識ができなくなったのはわかってる。

薬さえ飲めれば自分は「普通の生活」ができる。

この前薬を飲み忘れた。それがあるとき一気に自分という存在が許せなくなった。

今は昨日、ちゃんと薬を飲んで今は大丈夫なはず。

自分の未来、可能性、実力、現実に存在する自分という人間の人間性が不安。

逆にゲームという現実には存在しない自分なら信じられる。

現実には居ないから。

自分の仕事はできてるけど今後のことを考えると転職はしないといけない。

だけど、やりたい仕事、できる仕事。

現実に存在する自分という人間が信じられないから未来の自分という存在も信じられない。

だから「今」しかない。現実に存在しない自分しか信じられない。

だって、そこは「現実」じゃないから。

現実はわるくない。世界は悪くない。

悪いのは自分という可能性と希望を信じきれなくなった、「自分」だから。

自分という存在が許せなくて許せなくて殺したくてしょうがない。

だけど死ぬことが怖い。怖いから自殺なんて、自死するなんて、リストカットとか、

自分を傷つけることが怖いからまた許せない。

自分という存在が負の螺旋のように未来永劫許せない。

自分で自分の存在、自分の人間性を許せない。

だから「逃げる」しかない。

現実を、世界を憎んじゃだめだから逃げるしかない。

自分自身を否定してもだれも傷つかないから自分という存在を赦さなければいい。

そうすることで世界は回る。

今日もそうして生きてる。


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