福島県の旅①
2024年の夏季休暇は、有難いことに9日間あった。8月10日からの前半を福島県の旅に充てた。福島県へは2015年7月に宮城県の南三陸町や気仙沼市、石巻市、岩手県の陸前高田市の被災地を訪ねた旅行の帰りに会津若松城(鶴ヶ城)に立ち寄って以来である。
今回、日程に余裕を持てたので夜ではなく、10日のお昼に自宅を出発した。新東名高速道路の駿河湾沼津SAで最初の給油。本当は足柄SA迄行ける計算をしていたが、猛暑の折りからエアコンフル稼働で燃料の消費が予想より早かった。この先、東北自動車道の那須高原SAで二度目の給油と車泊を目論んでいたが、那須高原SAの混雑を予測して、ひとつ手前の黒磯PAで行動を終えた。那須高原に近く標高も330mほどあるが、さすがにまだ蒸し暑く寝苦しさを感じた。
震災遺構福島県浪江町立請戸小学校
翌朝、那須高原SAでこの旅二度目の給油。磐越自動車道、常磐自動車道を経由して常磐双葉ICから目的地の「震災遺構福島県浪江町立請戸小学校」に向かった。
9時30分開館のところ、9時過ぎに到着した。吹きさらしの教室はフェンス越しに覗き見ることは可能だが、ここはしっかり入場料を支払ってじっくりと見たい。
開館間近になるとパラパラと人が集まって、数組7~8人と共に入館した。入館料は300円。
随所にその時の状況を説明したパネルが設置してある。おかげで理解を深めることが出来る。
請戸小学校が位置する請戸地区は、津波による死者が127名、行方不明者27人と多くの犠牲者が出た。 海から約300mに位置する請戸小学校(実際にはもっと海の近くにあるように感じた)でも経験したことが無い長い揺れに襲われた。
防災無線が「大津波警報」の発令を知らせる中、校舎には既に下校した1年生11人を除く、2年生から6年生までの児童82人が残ってた。教職員はすぐに児童に対し避難を促し、避難場所に指定されている学校から約1.5キロメートル離れた大平山を目指した。
地震発生から約40分後に、請戸小学校にも津波が到来するが、幾つかの幸運もあって児童・教職員全員が無事に避難した。奇跡の小学校と言われる所以である。
情けないことに順路を見落としてしまい、2階に展示室があることを後から知った。また行かねば…。
東日本大震災・原子力伝承館
請戸小学校から「東日本大震災・原子力伝承館」へ移動。移動時間に10分もかからない距離にある。この施設は東日本大震災と津波に伴う原子力災害を後世へ伝えることを目的としている。福島県双葉町の博物館・情報発信施設である。入館料は600円。
モダンなシアターに着席し、映像に映し出されるプロローグを見る。福島県出身で福島県を愛する俳優、西田敏行の味のあるナレーションが響く。
モダンなシアターをぐるぐる登って行くと展示室。災害の始まり・原子力発電所事故直後の対応・県民の想い・長期化する原子力災害の影響・復興への挑戦の5つのテーマで展示されている。災害の始まりでは、「語り部」の男性が説明をしてくれた。
屋上からは汚染ゴミの中間貯蔵施設や震災遺構の小学校(双葉南小学校?)が見えるらしいが確認できなかった。
双葉町から大洲海岸に向かい、近辺でお昼にしようとウロチョロしたものの、適当な店が見つからず。翌日は安達太良山でハイキングの予定につき山麓の「あだたら高原リゾート」に移動。途中、二本松市内で三度目の給油。「道の駅安達」のコンビニで昼食代わりの菓子パン購入、地元のスーパーで肴や夕食を買い、「スカイピアあだたら」で入浴。寝座を求めて右往左往するが最終的に「道の駅つちゆ」に落ち着いた。
福島県の旅②に続きます。
旅行日:2024年8月10日、11日
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