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0006 慰められたいこともある

マツコの番組を見ていた。
緊張しまくりのゲストに対して、マツコが「これで少しは緊張がほぐれたならいいのよ」と言った。

何故だかその瞬間、涙が出そうになってこらえた。

時々、衝動的に大きな声で泣きたくなることがある。
そんな涙が溢れてきそうになった。

多分、「いいのよ」という言葉が胸に刺さってしまったのだろう。
「いいんだよ」と自分も言われたくなってしまったのだ。

もういいんだ、十分だと言われたい。
お前は頑張ったと言ってほしい。
でもきっと、言われたところでお世辞だろうとか、慰めだろうと思ってしまうので、言われたら言われたで、泣きたくなるほどには、響かない。

油断している時、急にこの言葉に接触して、慌てふためき、許されたくなってしまうということを繰り返すだけなのだ。

ベトナム戦争か何かの映画だろうか、本だろうか。
怪我を負って、瀕死の部下を抱いて、上官が言う。

「OK、OK。もう大丈夫。もうすぐヘリコプターが来るから、お前はそれに乗って少し休みにいくんだ。休暇だからな、××の店にいくといい。そこには俺のボトルがあるから、それを飲んで待っててくれ。俺も後から行く。OK、お前はよくやった

というような。おぼろげな記憶だから、セリフは違うが、おおむねこんな事を言う。場面としては、誰もここで泣かない。もう、全然主題じゃないし、何なら周りでどんどん死んでいっているし、戦闘中で場面がガンガン変わるから、気持ちが乗らない。むしろ忘れていく場面だ。
私は、号泣できる。完ぺきにこれから死ぬ兵士に乗り移って、自分の手を握る上官の体温も想像できる。

そして、上官の声を聞きながら、分かったって血の泡を吹いて死にたい。

少しおかしな方向に来てしまったが、「もういいよ、十分だ」と言われたくなる時がある。慰めというのか、認められたいというのか、受け入れてほしいのか、自分でもどれだということができない。

そしてきっと、家族なり、同僚なり、上司なりに言われたところで信じないから、死ぬ間際まで、ないものねだりになるのだろう。

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