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1224出来れば祈りを

クリームソーダを飲んでいると、炭酸にアイスクリームの油膜がまとわりついて、どこか白色透明で気持ちの悪い気泡が出来る。夢の目覚めとはかくして、このようなものだ。

浅い眠りから無理に体を起こし、短くクリスマスイブの手筈を母と話す。ケーキは私の仕事終わりに取りに行く。

車を走らせながらタバコを吸う。片道、絶え間なく吸えば4本。車の中でしか吸わないことにしている上に、基本的に2本吸えば満足するのに、今日はなんだか駄目で、駐車場についてからも時間まで吸っていた。

店についてすぐ、大量の門松と切り花と鉢物を船着き場まで取りに行く。
港で働くおじさんがいそいそと近付いて来て、門松の値段を聞いて、小さいのじゃないと買えないなぁ、と呟きながらフォークリフトに乗り込む。門松でかくて一回じゃ運べんね、と言いながら扉を強く閉める。

クリスマスなんて関係のない用件で来る農業ヒューマン達が、野菜の苗そっちのけで入ったばかりの大きな株のシクラメンを眺めて、贅沢は出来ない、と呟いて、安くなっているキャベツの苗をいくつか買っていく。

珍しい人が来てるよ、いずみちゃん。
呼ばれて振り向くと、いつも隣町から友人と来ていたおじさんが立っている。ひとりで。
低血糖でフラフラと運転していたら警察に免許返納を求められた。でも農業がそれじゃあ出来ないって言ったら、合う薬が出るまでは我慢しろと言われたんだという話を店長にしている。
あのお友達、死んじゃったんだよ。森林組合で働いてたんだけどさ、去年仕事中に事故で。それで最近、来てなかったんだけど、久々だわ。世知辛いね。辛いよね。

雨が降り出す。往来は賑やかしの客で出来ていて、たまに明らかに農作業の合間に来たのであろうおじさんたちが果樹や野菜の苗や、種を買う。きれいな服を着て、きれいに化粧をして、きれいなネイルをした人が、きれいで大きくて高い花を買う。胡蝶蘭3万円と、シクラメンひと株7500円。あと明日入る胡蝶蘭も。あと、このポインセチアも。

母と昔働いていた技能実習生のベトナム人が二人で、ベトナム語を話しながら楽しそうに入ってくる。私のことは覚えてないけれど、私がよくなついていたローズという名の人だった。
2000円のシクラメンを眺めて、かわいいけど高いね、買えない買えない、と言いながら、やっぱり欲しくなったと言う。リガースベゴニアを見て、お嬢様の髪飾りみたいね、と言いながら笑う。2500円は高いよ、高い高い。借りてる家だから、花を思うように植えられないの。だから、ラッキーバンブーから根が出てきて、植えてみたいなと思いながらも水耕栽培して、最近腐らせた、らしい。
ラッキーって言ってるけど本当にラッキーになれるのかな、と笑いながらラッキーバンブーだけを買って帰っていく。最後まで、シクラメンを見ていた。

ちょっと家に花を飾りたくて、1000円ちょっとぐらいで。
じゃあクリスマスカラーにしちゃいましょっか、と言いながら赤いガーベラと緑のシキミア、白のスカビオサを包む。紫のスカビオサも可愛いですよね、というとじゃあそれも、という。面白がって、ぺんぺん草も混ぜる。やっぱりクリスマスは浮かれちゃうよね、と言われて、クリスマスだけじゃなく私はずっと浮かれてますけどね~と言いながら笑う。

私のことを気に入って、私に会うためだけに隣町から来るおじさんが来た。私を息子の嫁にしたがっていたが、最近は自分の嫁にしたがってる感じがある(おもしろい)。
クリスマスはデートがあるんだろ?と言われて、クリスマスデートなんて一度も経験してないという話をしながら、じゃあ俺の今夜の予定の前にお茶しに行こうと言われる。一度、店員としての重責を背負わない場所で喋りたいと思っていたので、なんとなくOKしてしまった。結果楽しかったから良いのだけど、私が色んな人につけこまれる原因はここだなと思った。

サンタスロース来るかな、と冗談っぽく言って、何年生までサンタを信じてたか、めいめいのエピソードを話す。店長と私が小6、と言って、サンタを見たことありませんでした?と聞くと、見たことあるんだよ、だから確信めいたものをずっと持ってて小6までちゃんと信じてたなぁ。という話を聞く。
プレゼント云々は置いておいて、私はまだ、サンタがいると思っている。

仕事終わりにお茶をしにいって、そこでクリームソーダを頼む。クリームの泡が膜を作って、上顎にまとわりつく感覚だけを残して飲み終わる。

家に帰ると流れていたテレビで華厳の滝が映って、私は藤村操のことを考えた。16歳にしては早熟な彼に憧れて、私が華厳の滝に向かう時は死ぬときだろうと常々思いながら、遥か昔に覚えた巖頭之感を呼び起こす。

―悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。

私はまだ上顎に残るクリームソーダの質感は生命存続の感に似て、私は舌先でそれを舐める。

出来れば祈りを。生きることへの苦しみに満たされず、誰も彼もが幸福で、誰も彼もが不幸であれ。