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脳みそがまだ形になってなかった時の話
非常に向かないこと。
恋愛。
この状態に陥ると、途端に正常な判断が出来なくなる。
なんなら記憶さえあやふやになる。
そしてその形跡が残る文章を発掘するたびに消えてしまいたくなる。
今回は消し炭にしたい過去と懺悔の念を書き記していこうと思う。
10年以上前の話。
学生時代の私に恋人がいたのだが、そこに至るまでの経緯がゴミくず以下の話である。
簡単に言えば、横からかすめ取ったのだ。
底辺にもほどがある。
そのときの私の思考は泥水のように濁っていた。
それくらい汚いものである。
そのときに発生させた精神の不安定さが、今の精神疾患の原因の一旦を担っているくらい業にまみれた出来事である。
私が今このような生活をしているのも自業自得だ。
つい最近、恋愛状態になったことがあった。
しかし私の泥のような思考回路は泥のようなままだった。
絶望的である。
人に好意を寄せることの難しさによって、私は人間としての形を保てなくなってしまう。
これは単純に場数の問題のような気もするが、この問題に対して重い腰を再び上げてどうにかしようという気力は起きない。
ここまで来てしまった私は、大切なものを失っている気持ちがぬぐえないままに年を取っていかなくてはいけないと思う。
せめてそれくらいはしないといけない気がする。それでも足りないくらいだけれども。
他者と仲良くなるアプローチは失敗ばかりだった。両親ですら現状を見ると関係性の構築に失敗している。
でも少し救いがあるとするならば、人間相手では上手にふるまえなかったけど猫に対してはうまくいった。友人も恋人も家族も何もかも失敗した私だけれども、それでもコミュニケーションを模索した結果、猫との意思疎通だけがうまくいった。
振り返れば多くの失敗をしてきた。
それに対して許しを請うことはする気はない。
過ちを真摯に受け止め、それらと共に生きていく決心である。
この判断が正しいか間違っているかは定かではないが、今の私が思う正しいことをしていきたい。これが盲目な脳死といえるような判断ではないと願いたい。