家族。
それから、家族が出来た。
3人目のお父さんは、私を連れ子扱いでは無く、誰がどう見ても本当の父親だった。
年子の弟が2人も出来た。
歳が離れてるので、すごくすごく可愛がった。
ミルクもオムツも進んで手伝った。
4つ下の弟にも定期的に会えるタイミングがあった。
時間は限られていたけど、3人目のお父さんも快く一緒に遊びに連れて行ってくれた。
こんな日々がずっと続いていくと思っていた…。
確か4つ下の弟が小学校に上がる時、定期的に会えるその日。海遊館に行った。
その帰りに『もう、今日が最後。もう会えない。』と伝えられたそう。
また、母が毎日泣いている日々が続いた。
新しい家族が出来るみたいだった。
私は、悲しかったけど最初のお別れの時より何故か変な自信があった。まだ小学生の私。
何を根拠にかは分からないけど
いつかまた会える。
それからは、母はまた悲しくて辛い日々を送っていたんだと思う。
でも、私も年の離れた弟2人も
まだまだ手のかかる子供。
毎日慌ただしく過ぎていったんだと思う。
それから月日は流れて
私はバスケットボールマン。
弟2人は野球三昧。
夫婦喧嘩も絶えなかったし、私のバスケットボール人生もハードだったし。
私も中学3年生。
カタチや創りは違えど『家族』を満喫していた。
ただ、この時から違和感がハッキリしていた。
私に対する母と、弟2人に対する母。
異性だからなのか、4つ下の弟、息子を手放してしまった理由からか、弟2人にはめちゃくちゃ優しい母。
私にとても厳しかった。
私との喧嘩もエスカレートしていった。
今思うと、私のヤキモチだ。
元々、厳しい母。
小さな頃からいろんな言葉を母から聞いてきた。
『若い母だからと舐められたくない。』
今では若いお母さんは珍しくは無いが、私の頃は目立つ程、母が若かった。
中学3年生。
反抗期真っ只中。
母親との溝がこの頃から深くハッキリしたモノになっていった。
『家族』って難しい。大変だ。
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