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2022.02.03 - さくらでんぶの恵方巻

 今日は節分。数日前までお正月をした月とは思えない!けれど日に日に空が明るい時間がのびてきて、確実に春が近づいている。

 節分、というと子供の頃たべた落花生はただただ味気なくてあまり食べたいとは思わなかった。鬼は外、福は内~も記憶がないくらい小さい頃には、鬼役の父へ力いっぱい豆を投げつけはしゃいでいたのだろうなあと思う。父が節分の日に仕事から帰ってくるのをそわそわと待ち、画用紙でつくった鬼の面を準備していたことを思い出した。

 しかし気が付けば、「鬼は外、福は内」と叫んで投げつけるのも少し気恥ずかしく思うようになった(当時の私は小学3年生頃だったと記憶している)。その日から、節分のイベントは家でやらなくなってしまった。
その日、節分をやろうとしたのに盛りあがれなかった夜、母の「じゃ、もう来年からやらないよ。せっかくなのに…全然盛りあがらないし。」と言いながら、寂しそうだったことははっきりと憶えている。なんだか申し訳ないな、と思ったのだ。

 恵方巻といえば、今イメージするようなものは食べたような記憶がない(もし、毎年美味しい恵方巻を食べていれば忘れないはず)。
おそらく母は普通の納豆巻きか、細い卵焼きにきゅうりとかんぴょう、さくらでんぶがはいったよう(今思えば大人向けのしぶいテイストだなぁ、と思うしちょっと地味…?)な海苔巻きだったからだと思う。恵方巻と認識していなかった。おそらく母は「これは恵方巻だ」と節分の日を子供たちにわかってもらうよう、すこしでも華やかに見せるため、普段つかわないのにわざわざ ”さくらでんぶ” を使ったのだと推察するが、当時私は「となりのトトロでおべんとうのごはんに、たっぷりかけられるピンク色のあれ(初めてみたときは、たらこだと思って羨んだ)」のことを思い出す程度で、どちらかというと好きではなかった。飯に砂糖をいきなりぶっかけたような、舌が混乱するあの甘さにどうしても馴染めなかったのだった。その感覚を除けばあとは普通においしかったので、残さず食べたけれど。

 これがほんとうの恵方巻、と初めて感じることができたのは大人になってからだった。つやつや輝く生魚(サーモンだったりまぐろだったり)、しその葉とよく合うぷりぷりの甘えび、ピンク色の濃厚なねぎとろ(私はねぎとろが大好物!)、端からこぼれおちそうなイクラ、甘いたまご、パリッと食感のアクセントを担う薄くスライスされたきゅうり……ひと口ほおばれば、私の中で海鮮パーティーがやんややんやと開催され、味覚が大盛りあがりした。これを初めて食べたときはほんとうに衝撃をうけた。そうかこれが、本来の恵方巻…?なんてゴージャスなのでしょう…。盆と正月と誕生日を一気にたべているような感覚!(?)



 今年の恵方巻は、夫が会社の親睦会からもらってくるそうで(とてもありがたい、嬉しい…)、私は昨日からもうずっとそれを楽しみにしている。
昨年は、魚がおいしいスーパーで具材だけがセットで売られているものを買って家で巻いた(それもおいしかった!)。見出し画像のものです。
ちなみに豆まきもやる気満々だ。夫婦二人しかいないので、夫が鬼役をかって出てくれたのだがその必要はないと伝えた。なんせうちの豆まきは今年から「福は内、鬼も内」でやるのだから。思い返してみれば、いままで鬼にわるさをされたことはなかったし、きっと優しい鬼もいるはずだとふと私が思ったからだ(今流行り?の”鬼滅の刃”を観てなどではない。本当になんとなくそう思えた)。
床に落花生の殻のかすが散らばらないよう(今日はルンバをかけた日なので特に)、何個かをラップに包んで輪ゴムで結ってまくつもりだ👹

 私たち子供たちが実家から巣立ったいま、あの家では父と母のふたりきりで豆まき…は、しないのだろうけれど、あの海苔巻きを今夜母はつくるのだろうか。当時と具が変わっていないかどうなのか、少しだけ気になりもし、今日もらってくる恵方巻とはべつに、懐かしいあの海苔巻きをまた食べたくなった。
あの地味でちょっとだけかわいい海苔巻きは、たしかに我が家の「恵方巻」だったのだ。お店で売られているようなぎらぎらと豪華なのでなくたって、あれがうちの恵方巻。恵方巻はきっとうちによってさまざまだ。



おにはそと~
ふくはうち~
ぱらっ ぱらっ ぱらっ ぱらっ
まめのおと~

むかし、保育園でうたった豆まきの歌を思い出した。



--追記--

今日母がつくった恵方巻
(あれ、すごく豪華になってる……)

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