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雨の日の読書ー『掃除婦のための手引き書』

 わたしは家が好きだ。家はいろいろなことを語りかけてくる。掃除婦の仕事が苦にならない理由のひとつもそれだ。本を読むのに似ているのだ。

『喪の仕事』(『掃除婦のための手引き書』より)

 

 ルシア・ベルリンの短編の出だしは、いつもこんなふうだ。
 静かで、透徹している。

 窓の外から静かに聞こえる雨音みたい。
 彼女の文章を読むたび、いつもそう思う。

* * * *

 『掃除婦のための手引き書』は、24篇からなるルシア・ベルリンの短編集だ。

 死後10年経って再発見された彼女の短編は本国アメリカで大絶賛され、たちまちベストセラーになった。
 日本でも、2020年に本屋大賞の翻訳小説部門で第2位になっている。
 表紙の写真はルシア本人。美しい人だ。

* * * *

 彼女の描き出すものは、何気ない生活の一場面。
 バスの停留所での会話、浜辺のティーンエイジャーのくすくす笑い、「奥様方」を満足させるための掃除婦の心得(「掃除婦たちへ:猫のこと。飼い猫とは決して馴れあわないこと。奥様に嫉妬されるから。だからといって、椅子からじゃけんに追い払ってもいけない。反対に、犬とはつとめて仲良くすること。」)。

 この一見なんでもないものが、彼女の言葉を通して聞くと、途端に深い詩情をたたえてしまう。あっさりと、やすやすと。

 彼女の放つ無骨な気品と投げやりな教養が、日常の景色の思いもしなかった側面を浮かび上がらせる。
 さらさらと優しげな絶望、ざらざらと心身を削る希望。

 満月の夜、誰もいない路地裏で、ごみ置き場に捨てられたがらくたが月あかりにひっそり光るさまに、それは似ている。

* * * *

 心の奥にある、人には見せられない(と自分では感じる)がらくたが詰まった箱の中に、彼女の言葉は静かにまっすぐ届くのだ、きっと。

 普段はすっかり忘れているその「がらくた」、なぜだか捨てることのできないその「がらくた」が、彼女の光に照らされて、思いがけずきらりと光る。

 がらくたなんかじゃなかった、と気づくその瞬間、がらくたは宝物に変わる。

 ありのままのすべてが赦される。
 それはつまり、深い癒しだ。

* * * *

 彼女の言葉は、決して読者に寄り添わない。
 あなたはあなた、わたしはわたし。
 そんな距離感がある。

 それはちょうど、窓の外で降る雨みたい。

 雨の日の読書にぴったりの本、だとわたしは思う。

* * * *

お読みいただき
ありがとうございました。

どうぞ素敵な一日を!

※書影は版元ドットコム様よりお借りしています
 


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