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【森高千里】レッツ・ゴォーゴォーツアー 札幌初日 「この街」はなぜ特別なのか

札幌での公演は1年9ヶ月ぶりだとMCで言っていた。昨年冬のZeppツアー「ロックはダメなのストレートよ」ぶりということなんだけど、今回の「レッツ・ゴォーゴォー!ツアー」(捨て字の「ォ」がポイント)といい、前回の「今度はモアベターよ」といい、ほんと、変なツアータイトルを平気で付ける最近の森高さんです。ふつうの格好つけた「かっこよさ」なんてまるで気にしていないところがいい。

とはいえ昔はもう少し普通だったようだ。1990年代前半の「ROCK ALIVE」「LUCKY7」とか、同後半の「PEACHBERRY SHOW」とか。「古今東西」は当時の日本のミュージック・シーンとしては少し変わった部類に入るかもしれないけれど、アルバムタイトルでもあるし、アーティスティックな打ち出しからしてもそれほど違和感があるものではない。だいたい「モアベター」の前は、コロナ禍を挟んで「この街」ツアーだったわけだから、ツアータイトルがへんちくりんで印象に残るものになったのは「この街」ツアーがひと段落した後から、ということになるのかもしれない。

で、「この街」という曲は森高千里の曲の中でも独特なポジションを占める存在だ。特大ヒット曲という点では「17歳」があるし、世の中に知られたアンセムなら「私がオバさんになっても」がある。変わった曲を歌うアイドル(当時)という面では「ストレス」があるし、「気分爽快」「私の夏」「二人は恋人」など、CMやドラマや主題歌で知られているキャッチーな曲はそれこそ枚挙にいとまがない。年季の入ったファンならエバーグリーンなデビュー曲「NEW SEASON」なんかを挙げるかもしれない。でも「この街」はそのどれにも当てはまらない。

2019年から森高ライブに臨場するようになった私が「この街」を初めて生で聴いたのは、同年秋の名古屋公演だった。まさにこの年の初めからスタートした全国ツアー「この街ツアー2019」のツアータイトル曲だったので、初めてチケットを取った名古屋に向けて、予習的にユーチューブとかで視聴したのがこの曲を知るきっかけだった。で、のけぞるくらいたまげた。1993年の「LUCKY7」ツアーの映像だ。一発でやられた。

「思い切って、歌いたいと思いますこの街、歌ってまいりたいと思いますどうもありがとうございました〜」と客席に笑顔でぶんぶん(ほんとにぶんぶん)手を振る森高は、企業とかが開催する立食パーティーのコンパニオン風の出で立ち(なぜ?)。それはいいんだけど、問題は次。シンセサイザーによる華やかかつきらびやかな16小節のイントロ(客席の映像にまずはたまげる。あれはすごい。詳細は省く)を受けて歌われる歌詞だ。作詞はもちろん森高自身。

 街のはずれの駅で
 あなたを見送ったのは
 2年も前のことね元気にしてるかな
 この街も変わったわ
 あの海も埋め立てられ
 砂浜もなくなった
 みんな思い出だわ

歌詞は記憶で書いているけど、そんなには間違ってないはず。実らなかった10代の恋。強いてあげれば失恋ソングにしてはちょっと堅いコンクリートなイメージがすぐに出てくるところが変わっているけれど、思い出に収斂するのでまあアリかなと聴いている。そしてBメロでこう続く。

 子供の頃遊んた広場は大きなビルが
 みんな消えてく空に浮かぶ白い雲のように

思い出の広場にビルが建つ。ちょっとメランコリックというか、あるいは経済成長批判や大規模再開発への否定的な目線というか。そこまで大げさではないかもしれないがそんな心境がハタチ前後の若者の視点で吐露される。おやおや。そして最初のサビ。

 でもこの街が好きよ
 生まれた街だから
 空はまだ青く広いわ
 田んぼも
 この街が大好きよ
 のんびりしてるから 
 魚も安くて新鮮

「魚も安くて新鮮」。メジャーアーティストが切るシングルのサビの締めがこんなフレーズでいいのだろうか。前代未聞、空前絶後だ。魚、安い、新鮮。ポップミュージックの詞じゃなさすぎる。きょうの晩ごはんの食卓にのぼる魚が安く買えておいしいからって、そんなことを歌ってどうするんだ。おいしい魚が安いから自分の育った街が好きって。や、間違ってないけど、そのとおりなんだけれど、冒頭で見送った「あなた」への思いは、お母さんが鮮魚店で夕方買ってきたサバとかイワシと等価なん?

サ・カ・ナ・モ・ヤ・ス・ク・テ・シ・ン・セ・ン。カッコつけた日本語ロックやそれこそストーンズ(ジャニーズじゃない方)みたいなブルース由来の洋楽ばかり聴いてきた私にとって、この12文字は決定的だった。はっぴいえんどなんて目じゃない。これが歌詞になるんだ〜。しかもなんだかめちゃくちゃいい曲の。

再度蛇足ながら、私がこの曲を初めて聴いたのは2019年で、同曲のシングルリリース(「勉強の歌」のC/W)から28年経っている。1991年の音楽ファンにこの歌詞がどうインパクトを与えたのかそれとも与えなかったのかは、遅れてきた自分にはわからない。当時の自分の興味関心領域からはまったくかけ離れていたはずで、実際知らなかった。

歌詞をもう少し追う。

 卒業してみんなはこの街を出ていくけど
 方言を使わなくなるのは淋しいわ
 古い校舎も建て替えられて記念碑さえ
 みんな消えてく空に浮かぶ白い雲のように

 でもこの街が好きよ
 育った街だから
 星はまだ夜空いっぱい
 ほたるも
 この街が大好きよ
 きれいな泊川
 このまま変わらないでいて

魚の衝撃から立ち直った私は「いい曲」としてこの曲を改めて聴くことになるのだが、そこでちょっとした違和感を感じる。若いのに(当時)なんだか保守的な感じがしたのだ。自分もローカルの出身なので自分ごとなのだが、その立場から思いいれるのは「卒業してこの街を出ていく」側であって、魚が安くておいしいのと夜空の星がたくさん見えるだけの田舎町に残る側ではない。森高さんのような「すでに成功した」アーティストが、後者のような立場を歌にするのはなんというか、ちょっと「押し付け」くさいのではないかと思ってしまったのだ。生まれ育った街だからといって、それだけの理由で生涯そこに紐付けられる所以はないし、仮にそこに残る選択をしたからといって、そこには不可避的な条件もあるので、無条件にそれを肯定してしまっていいのだろうか、、、

結論からいうとそんなものは杞憂で、というかそもそも何を歌ったってそれはその作り手の表現なのであれこれいう話ではないのだけれど、森高千里という作詞家でありパフォーマーの出発点とその現在位置を知るにつれ、そんな馬鹿げた「押し付け」感は白い雲のように消えていく。すべては自分の若気の至りだ(若くないけど)。

いま、東京とそれ以外の街はその繁栄と衰退という両極に振られ、両者の分断が年々看過できなくなっている。森高千里はそれだからこそこの曲を長いツアーのタイトルに据えて全国の(決して栄えているところばかりではない)街を巡った。コロナを挟んで足かけ4年に及ぶこの長いツアーを2022年6月に終えた後も、その後の多くのライブでこの曲を欠かさず取り上げている。Zeppというライブハウスを舞台に展開する現行ツアーでも。きょうも。

重要なのは、そういうツアーで出向く一つ一つの街に関心を持ち、調べ、自分にとってのその街との関わりを「自分事」として、こだわり続ける姿勢だ。街によって変わる曲間のセリフの部分(御当地のおいしいものについて、自身が調べ試した成果を差し込むのがお約束)に、ときどき頑固とも思えるそんなこだわりが垣間見える。森高千里はその一点において、ものすごく真面目なのだと感じる。

だからこそ。シンプルだけどもなんとも深く、変わっているけど根っから普遍的な「この街」という曲の歌詞に作り手が込めたものを、そしていま込めたいものを、ライブの場で毎回感じながら考えながら聴き、一緒に歌い、飽きず「また次も聴きたい」と思える自分は、いったいどんだけ幸せなのだろうと、2019年の邂逅に感謝をしたくなる日々なんです。

2024/10/16

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