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木桶は、ロマン。

ーMETORO MIN. 『 INTO THE FOOD VOL.12 2017 再掲』ー

3月某日(※取材時2017年)、秋葉原駅の高架下にある「日本百貨店しょくひんかん」に、人の背をゆうに超す木桶が運び込まれた。運び込んだのは「木桶職人復活プロジェクト」のメンバーで、かつて日本の発酵食に欠かせなかった木の大桶製作復活のために集まった人々だ。発起人は、小豆島の老舗醤油蔵「ヤマロク醤油」代表の山本康夫さんで、山本さんの友人で同郷の大工職人や他県の小型の桶、樽職人などが加わる。今なぜ彼らは、木桶職人復活の狼煙を上げたのか。

日本酒→味噌・醤油→漬物

江戸時代、人々の生活周辺の容器(産湯桶、洗い桶、風呂桶、棺桶も)は大概が木桶で、発酵食もまた木桶仕込みが基本だった。食の世界では、最初に日本酒蔵が使った木桶が、その後味噌醤油、味醂、漬物と香りの強い発酵食の蔵へ循環するのが常だった。戦後、大量生産や速醸(短時間で発酵を促す速醸酛を使用する)が主流になると、時間や手間暇がかかる木桶発酵や大桶を作る職人は激減した。日本酒の貯蔵容器が、洗浄が楽で衛生管理しやすいホーロー、ステンレス、FRP(繊維強化プラスチック)などに切り替わったのも木桶が減った原因だ。

木桶職人復活プロジェクト、スタート

現在、醤油蔵で木桶発酵を行うのは、全生産量の1%未満。木桶は寿命が100〜150年と言われ、現役の桶は戦前製が多い。箍の締め直しや側板の交換は行われてきたものの、新規の発注はごくごく僅か。そのため、製作技術も絶滅寸前だ。今も大桶制作を続けるのは、大阪の藤井製作所が唯一。「ヤマロク醤油」の山本さんは「発酵の主役は菌です。菌は金属やプラスチックより、木桶という住処でこそ生き生きと活動できる。うちの醤油の味は、菌と木桶が造ります。藤井さんが辞めてしまったら木桶は絶えてしまう。うちの味も作れなくなる。ならば自分たちで木桶を作ろう」と考えた。こうして始まったのが「木桶職人復活プロジェクト」だ。2011年、藤井製桶所に教えを請い、2013年に自社製作の第1号桶が完成。翌年からは毎年1月、小豆島で桶作りをプロジェクト化し、趣旨に賛同する本来ならば競合の醤油蔵、飲食関係者も有志で加わり、年々その輪は広がっている。

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答えは100年先にわかる

木は生きものだ。水分を含んで膨らみ、乾燥すると縮むので「変化をいくら想定しても想定外がある」。完璧に漏れない、はない。これも他の素材にとって替わられた理由だが、微生物には木桶が理想的だ。異なる木材を合わせ、箍で締める木桶は、かつて”結桶”と呼ばれた。山本さんたちの話を聞くに、それは木材という物理的結いだけではなく、知識や気持ちの結いでもある。「木桶作りにゴールはありません。今の僕らのやり方が正しかったのか、結果がでるのは僕らが死んだ後です。それでも、今の木工技術の進化からすれば、江戸時代より性能の良い桶ができると信じています」。100年先に木桶文化が残ることに想いを巡らせ、時に喧々諤々と土壌の異なる職人が知恵を出し合い、木桶は微細にモデルチェンジ、進化している。

埼玉県の弓削多醤油は、同プロジェクトで製作した桶を購入し、自らもメンバーとなっている。日本酒業界では今年、秋田県の新政酒造代表が参加した。「酒蔵さんの参加は心強いです。木桶需要が2%、本数にして3000本が文化として残る目安です」と山本さんは言う。

 木桶作りに初期から参加しているメンバーには、人気ラーメン店「麺や 七彩」店主の阪田博昭さんもいる。「僕の目標はインパクトよりリピートしたい味。木桶発酵の醤油の味に自分の理想が重なります。今の世の中は滅菌思考が主流ですが、体を弱くしてしまうのではと懸念しています。元気な微生物は、人の抵抗力を養う。いい菌を日々摂取するなら、高級レストランよりも日常的で敷居の低い業種、つまり僕らラーメンの方が向いています」。

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「木桶職人復活プロジェクト」の業界を超えた輪は、同様に絶滅危惧にある他の技術を継承する一つのヒント、希望でもあると思う。

「木桶作りは楽しいですよ。来年はきてくださいね」と話す職人たちの満面の笑みは少年のようだ。木桶は継承するのだろうか。その鍵は、伝統継承の意義というより、未来をを想像できる情動、つまりロマンにあると思うのだ。

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この記事を書いた翌年、小豆島の木桶プロジェクトに参加しました。新桶を組む前の側板に、参加者は100年から150年後に木桶を解体した時に残るべくメッセージを書きます。昔の桶を解体した時に、側板に職人の名前や何かしらメッセージが残されていたことから、このプロジェクトでも書くようになりました。100年、150年後に目の前にある木桶が残っていることを想像できるのは、まさにロマンだと思いました。2020年、今年1月再び木桶職人復活プロジェクトに参加しました。年々参加者は増え、2017年に1社だった日本酒蔵も増えました。醤油以外に桶を使う食品の蔵も参加。インターナショナルな会にもなってきました。地道に着実に、木桶文化の繋がりを感じます。写真は今年の小豆島のものです。






























































今後の取材調査費に使わせていただきます。