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時間は差し出し、奪わぬもの

自分の狭い交友関係の中にも、一人はいる時間の使い方が上手い人。私からみれば「上手いと言われている人」だ。
基本友達から遊びに誘われる時、誘う時はお互いの都合を擦り合わせて日にちを決める。この方法以外に何があるのかと疑問に思うほど、私の中では考えられない誘い方をしてくる人がいる。
彼女は「何日の何時から何時まで時間空いてるんだけど、お茶でもしない?」
日時と場所は既に決まっていて、私に残された選択肢は、行くか行かないかだけである。私に会いたいから誘ったと言ってきたものの、いやいや、それはあなたの暇つぶし以外何でもない。こういう人は、わざわざその場所へ出向く相手の事を想像せず、断られたらまた別の人を誘うのだろう。そしてそうした人は大抵、自分は少しの無駄な時間も作らない、時間の使い方が上手い人だと自負している人種なのだ。

これに関連して、時間にルーズな人も私は苦手である。たかが5分、されど5分。こちらは相手を待たせないように家を出る時間を逆算し、出かける直前に思い出した些細な事を諦めて待ち合わせに向かったとしても、平気で毎回時間に遅れて悠々と現れる相手を見ると、やるせない気持ちになる。

そんなに嫌なら自分もそうすればいいではないかと言う人もいるだろうが、海軍であった祖父からの5分前精神を私で絶やすことは出来ないと、謎の責任感が邪魔をして、どうしてもあちら側の人間にはなれないのだ。これからも自分は人より少し、自分の時間を持て余しながら、人様の時間は無駄にはしないと心に決めている。

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