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組み立てられる女。

私は大概の家具を一人で組み立てられる女だ。

父親も兄もいる家庭環境で育ち、そうせざるを得ない環境にいたわけでは無いが、とにかく力仕事というものを「女だから」という理由だけで、安易に人に任せる事が許される世の中であるとは知らずに育った気がする。

部屋の模様替えをする時も、重いタンスはイースター島のモヤイ像を動かす方法さながら、左右を少しずつ動かしながら位置を変える。数回の引越しでは、業者の人の段ボールの持ち方を観察して抱え方を覚える。テレビボードや本棚の組み立ては、説明書を見ながら組み立てることが好きで、人の手を借りる発想は皆無である。

思えば学生時代、身体測定の背筋力が人より突出して強かった記憶がある。握力は人並みだが、腕の力が強く、重い物も通常の女性が持てる重さを軽く超える。

OL時代。ウォーターサーバーの交換用タンクは12ℓあった。この重さは女性はかろうじて持つことができても、ひっくり返して接続部まで持ち上げることはかなりの腕力が必要であったと個人的に感じていた。

タンクを交換しようとする私に、入社2.3年目の若手男性社員が声をかけて来た。「僕がやりますよ!」わざわざ少し離れた席から駆け寄って来てくれた彼の好意を無駄にするように、私は答えた。「大丈夫、大丈夫!自分で出来るから。」

その後に続く心の声は、「私なんかに気を回さなくていいから、君はしっかり自分の仕事をしなさい。」。当時の私は彼への気遣いのつもりで断っていたが、思えば彼の好意と見せ場を潰す最悪な対応であった事に気づいたのは、随分と後のことだ。

自分一人で出来ることも時には頼る、甘える。

これが出来ていたら、私はとっくに嫁に行けてたのかもしれないし、原因はそれだけではない気もしなくはない。


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