「死」って何でしょう?

さて、前回は「考える」をテーマにお話しさせていただきました。その中で「生きるのって楽しいですか?」という問いがありましたよね。そこから派生して今回は「死」について考えさせてください。


死んだらどうなるんだろう。誰もが考えたことのある疑問です。でも答えを見つけることはできません。

死とは何か考える前に、死ぬとどうなるのか。イェール大学のシェリー・ケーガンはこういいます。「死んだとしても天国や地獄に行くわけではない。死は我々を眠っている時と同じ状態に導くだけだ」。

この記事では宗教のお話をするつもりはないので、仮に死を眠りにつくと同義であるとしましょう。それでもなお疑問が残ります。なぜ、死が怖いのでしょう。

その理由を「剥奪説」で説明します。この説で、死は生きていれば得られたはずの経験や様々な機会を奪うと考えます。だから、死ぬのが怖いのです。生きていればまだたくさんの楽しいことがあります、それを死は問答無用に奪っていくのです。怖くないはずがありません。

では死の恐怖を克服するためにはどうすればよいのでしょうか。「剥奪説」にのっとれば、死が訪れたとしてもできるだけ奪われるものを減らせばいいのです。簡単に例をあげます。ご高齢の方々が稀に、死ぬのは怖くないそのようにおっしゃることがあります。その理由として、ご高齢の方々は様々な経験や機会を越え、やり残したことをどんどん減らしていったからでしょう。死への恐怖はない、しかしそれでもこういいます「孫の顔を見るまで死ねない」。やり残しのないように生きることは難しいようです。

かのアップル創設者のスティーブ・ジョブズも死に直面し価値観が変わったといいます。「今やろうとしたこと、それはもし私が今日死ぬとしてもやろうとすることなのか」彼は毎朝鏡に向かってそう問いかけていたようです。


「死がくれる世にも美しい魔法、今を大切にすることができる魔法」。月並みなまとめではありますが、死の恐怖を克服するために私たちができることは今を精一杯に生きることなのかもしれません。


参考:シェリー・ケーガン『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』


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