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素材が大事?

note の投稿を読んでいたら、どなたかが、文章を書くことを料理に喩えられていました。

料理をつくることと音楽を作ることも似ているし、ま、すべてはフラクタル構造?っていうんですか? 全体と切り取った部分が似ている?もしかしたら意味を取り違えているかもしれないけど。 

自分の問題の解決のヒントなどを、まったく違う分野の人のお話を聞いて(YouTubeってすごいね)、はっとさせられて、思いつくことがあります。

格闘技ゲームのプロとか、メイクアップの動画とか、総合格闘技の人の話とか、漫画の編集者の話とか、自分がまったく興味をもっていない、または知らない分野を極めている人の話って、へえ~と参考になることが多い。なんでも同じなんだな~って。で、みんなやってる手段はいろいろだけど、追求していることは同じなんだろうな~って。

お題は、『素材は、大事?』でしたね。

はい、すべては 素材だと思います。

素材が良くて新鮮でおいしかったら、調理しなくてもおいしい。
庭から採ってきたばかりのゆでたじゃがいもにバターとか。焼いただけの魚に塩とか。

素材が悪かったら、どんなに高級なスパイス使ったり、素敵なお皿とかでがんばっても、それほどおいしくなかったりします。

超一流の人だったら素材がよくないものでも、素人がすばらしい素材を使った料理よりおいしいものが作れるかもしれないけれど。

外国語を話すときもそうだけど、語彙の多さとか文法の正しさとかってあんまりコミュニケーションの質に関係しないですよ。実際は。日常生活では。結局、人柄が一番大事。シンプルな表現でも心がこもっていたら、伝える思いが強かったら、結構通じたりします。逆もあるね。完璧に話されているけれど、逆にうすっぺらだったり、うそっぽかったり。人間どこにいっても感じる気持ちはそんなに変わらないんじゃないかな。だから音楽や美術や文学は国境を軽々と越えてますよね。

私は、20代がバブルの全盛だったのですが、お局様と食べるミシュランや高級寿司はおいしくなかったよ~。もう組織の話は早く終わってくれ~って感じ。行きたくなかったけど、今の若い人たちみたいに断れる時代じゃなかったのよ~。

やっとデートにこぎつけたあこがれの貧乏な彼とどきどきしながら、ガード下で食べる安い焼き鳥とチューハイの方がず~とおいしかった。

あれ? 味は、結局、素材でもないの?(笑)

私が、人生でいちばんおいしかったドーナツは、小学校に上がる前、4歳か5歳くらいのとき、友達のともこちゃんのお父さんがつくってくれた手作りドーナツ。半世紀以上たった今でも、いちばんおいしかったドーナツだと思っている。

ある日、いつものように、ともこちゃんのおうちで遊んでたら、その日、どうもお父さんが、めずらしくお休みの日だったようで、たしかお父さんは大工さんだった。

どれどれ、娘のお友達が来ているようだし、おやつを作ってあげよう、という流れだったのかな。そういえば、その日、いつもいるはずのともこちゃんお母さんがいなかったような。

黒いフライパンに油いれて、メリケン粉(その当時はそう呼んでいた)とふくらし粉(今はベーキングパウダーですか?)と牛乳とたまご、それから砂糖が入った、ドーナツを揚げてくれて、できたてをいただきました。作ってくださっていた様子も今でも覚えてます。

ずいぶんあとに、母にその思い出のドーナツの話をしたら、そうだね、揚げるのってあとで処理が面倒だったりで、当時、家では作っていなかったね、と。

どうして、そのドーナツがそんなにおいしかったか。 

ともこちゃんのお父さんの愛かな。もうあのお父さんももうこの世にはいないんだね。ともこちゃんのお父さん、私はまだ、あなたが作ったあの日のドーナツの味をおぼえていますよ。

素材より愛ですか?




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