余裕の尺度

自分に余裕があるかどうか、食事に表れるように思う。
凡そ以下の4パターンと言えるだろう。

①金銭的、精神的に余裕がある
多少手の凝ったものでも自分で作って食べる。
外食することに躊躇いがない。頻繁に人を誘ってご飯に行きたがる。一人でもわざわざちょっと遠出をして食べたいお店のご飯を食べる。

②金銭的には余裕があるが精神的な余裕はない
外食もしくはテイクアウト・お惣菜など。
精神的に余裕がない時の仕事終わりは一刻も早く家に帰りたいので外食を選ぶことが少ない。

③金銭的な余裕はないが精神的には余裕がある
安い食材を炒めるだけ程度の料理を作って食べる。業務スーパーに感謝。
外食は高いので基本避けるし、お惣菜も割引になっていないと買わない。

④金銭的にも精神的にも余裕がない
作る気力がないので一個100円程度のカップ麵で済ませる。
もしくはパスタに塩をかけたり、ふりかけをかけたものを食べる。

基本的に臥せってなければいけないほどの体調不良でなければメンタル不調でも食欲がもりもりあるため、「食べられない」とか「食べたくない」という状況がほとんどない。

精神的に余裕がある時というのは「作る気力」も「片付ける気力」もあって大変素晴らしい。と言っても皿洗いなど本当にやりたくなくて食事の後にすぐ皿洗いが出来る人の精神状態を私は知らない。

食事とは生命維持活動の要であるし、自分の状況を知るバロメーターとも言えるのだなぁと改めて考えた。作ってみたいなと思いながら料理動画を眺めていたらふと思い至ったことだった。

その他にもそういう「バロメーター」的ものは色々あるに違いないと次に思い浮かんだのは掃除だったが、これは皿洗い同様にやりたくないことなのであまり参考にはならない。が、比較的に余裕がある時の方がやっているだろう。


実は長きに渡る転職活動に終わりの兆しが見えた。
一つ、内定が出たのだ。でも向こうの反応的に渋々なのか分からないが、あまり歓迎の雰囲気を感じ取ることはなかった。

何を勘違いしたか面接時間を一時間遅くに認識していて大遅刻をぶちかましたり、緊張すると手が落ち着かなくなることを指摘されて落ち込んだりしたことは忘れたい。後者は置いておくとして、内定を出すと決めていたとはいえ前者のような大遅刻社会不適合馬鹿野郎によくそのままGOを出したなと思う。というか、だから歓迎ムードではないのではないだろうか。

いや、ありがたい。本当に。御社に足を向けて寝られません。

そんな訳で精神的な余裕も戻りつつあり、あとは金銭的な余裕が戻ればと思うがそれはまだまだ時間がかかりそうだった。

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