不幸と生

以前とは違う「死」を意識していた。

一年半くらい前は、「こんなに辛いのなら生きていても」なんて考えだった。それは精神を患って、そんな思考になっていた。今はどうだろうかと言えば。生活があまりにも困窮していて、「こんなに生きていくのが大変ならば」と思っている。

転職活動が上手く行って欲しい気持ちと、不自由のない生活をしていきたいという気持ちは私にとって両立が困難らしかった。
訳あって貯金はなく、派遣の仕事をしていないと税金やら家賃やらを払うのもやっと。そしてカードローンを利用せざるを得ない状況。
役所で使える制度は使ったが、やはり収入の問題でそれも一旦ストップした。

失業保険に申請しては収入が減ってしまうから払うべきものが払えない。
仮に申請しても給付は先々になる。
実家の両親を頼ろうにもあちらにだって潤沢な蓄えがある訳でないことは知っている。家のローンもあるし、弟の学費だってあるし、病気の姉の治療費もあるだろう。

そんな中、健康体で、自分の意思で仕事を辞めている、親の元を離れた子がどうして親を頼れようか。
私はそこまで図々しくなれなかった。

転職活動をしながら生きていくための金を稼ぐのは難しい。どうしたって転職かその日の稼ぎかを選ばなければいけない日も発生する。仮にスケジュールが上手く行っても自分が休息できる時間は取れないだろう。


だから、こんなにも生きていくのが大変ならば、と思っている。
生きていたいのは山々なのだ。でも、どうしたって上手くできない。
不器用さか、計画性のなさか、実力のなさか、もう何を恨めばいいのか分からない。結局は何も掴めない自分が悪いのだ。

勝手に服用を中止した向精神薬の余りを思い出してしまう。いつか多く残ったそれを、一度で口に入れるような日が来ないように願うばかりであった。

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