寂しさと普通

近頃、久し振りに実家に帰りたいような気がして何とはなしに幼少期を思い出した。

以前の記事でも書いた気がするが、私は幼い頃に骨折と病気で計2度の入院を経験した。骨折の時はまだ物心ついていないくらいの幼さだったのでほとんど記憶はない。あるとしたら退院して風呂に入る時にギプスを付けた腕をビニール袋でぐるぐる巻きにされたことだろうか。

病気の時は朧気だが覚えている。
初めて行った大きな病院の広い待合室で、母から「入院するよ」と言われた。幼くて、さらに高熱を出していた私はよく分からなくて「いつから?」と尋ねた。
「今から」と返された言葉にひどくショックを受けた。

それから数日間の入院生活が始まった。
暇だろうからと母が買ってくれたゲームは2日程度でクリアしてしまった。
寂しくて仕方なくて寂しさの余り何度もナースコールを押した。迷惑な話だが、まだ幼稚園に通っているような子供だから大目に見てもらいたい。
夜の病室は暗くて怖かった。
入院食のことはあまり覚えていないが、最終日に食べたひきわり納豆がどうにも口に合わず、あれからひきわり納豆が苦手になった。
見舞いに来た母が、父やきょうだいと連れ立って病院から去って行くのを病室の窓から見た。言いようもない寂しさがあった。自分だけ家族の輪から外れたような気がした。

いま振り返っても寂しいばかりの入院だった訳だが、いま思い返すからこそ母の苦労が見える。
幼い我が子の入院には不安になっただろう。
下のきょうだいはまだ1歳そこらで、上のきょうだいも小学校低学年。小さな子供の世話をしながら遠くの病院まで見舞いに来てくれた母のすごさが今なら分かる。


大人になって家を離れた今でも心配と迷惑をかけ続けている。
健康な心身と、不自由のない経済状況と、安定した仕事。きっと親としてはそういうのを望んでいるに違いないがどれも未だ手に届かない。

口にしたことはないが、本当は家庭を持って欲しいとも思っているだろう。母は子供が好きだから、その腕に孫を抱きたいと思っているだろう。
そんな兆しが一切ないまま、私は母が結婚した年齢も初出産を経験した年齢も通り過ぎてしまった。

普遍的な幸せほど得難く、雲の上のような存在だ。
何だか気まずくなってきてやっぱり実家に帰るのは止そうなんて思った。

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