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立憲主義の現代の到達点としての日本国憲法

ソラ:「ユウ、これ見て、新聞に寄稿したんだ。」

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われわれは、日本国憲法が、人類の長い経験と叡智の蓄積の表象である立憲主義の展開の「現代の到達点」というべきものを具現していることを、明確に認識し理解する必要がある。グローバル化する世界にあって、日本が過度に内向きになることなく、相互的比較を通じて対話し、自らを高めていく確かな基盤・土台を有することの意義は、長期的にみて限りなく大きい。

憲法の制定過程においては、戦前の厳しく徹底した思想・言論などの弾圧体制が基本的に除去され、選挙権が従来の25歳以上から20歳以上に引き下げられるとともに、日本の歴史上はじめて女性が選挙権を得たということが確認されなければならない。さらに、日本国憲法は、その成立後長きにわたって妥当し続けてきたものであり、国民の承認という意味では、その持つ重要性は大きいと考えるべきである。

アメリカ合衆国憲法の成立から二世紀立った1992年の合衆国最高裁判所のさる判決は、「われわれの憲法は、第一世代のアメリカ人からわれらへ、そして将来の世代へと続く誓約である。それは首尾一貫した連続である」と述べている。日本国憲法もまた、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」た日本国民の子孫として、「われらとわれらの子孫のために」、首尾一貫した誓約でなければならない。

日本国憲法の平和国家への志向は、その前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という考えが示されているとおり、単に戦争がないという意味での消極的平和ではなく、全ての人が圧制や人権侵害、貧困などから解放される積極的平和こそ、日本国憲法が追求する平和なのである。この点では、日本国憲法と国連憲章は同じ思想的基盤に立っている。

憲法第9条は、国内で自由をおびやかしかねない要素となる軍隊を否定し、外に対しては侵略をくりかえさない保証としての意味を、客観的に担ってきた。9条という憲法問題は、権力をコントロールするという近代憲法の存在理由そのものに深くかかわっているのである。かつての日本軍は、内では芽生えていた立憲政治をくつがえし、外には、アジア侵略をすすめていった。軍隊がにらみをきかせて強権政治をする「普通の国」は、世界に多い。軍の暴走をどのようにして止めることができるか。9条の存在理由を再確認すべき時である。

<参考文献>佐藤幸治『立憲主義について』/松井芳郎『国際法から世界を見る第三版』/樋口陽一『六訂憲法入門』

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