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法的拘束力の基礎づけに関する試論

「法的拘束力の基礎づけ」

法的拘束力、法的効力といったりしますが、法規の有効性の基礎とはなにか、考えてみたいと思います。

まず、「法の外面性、道徳の内面性」を説明します。法の外面性とは、法の規制の関心が外的な人間関係にあることを意味しています。法にとって、内面の心情は、外部的行為を予期させることにおいて、法の視野に入ります。

道徳の内面性とは、道徳の規制の関心が内面の心情にあることを意味しています。外部的行為は、内面の表示として、道徳の関心をひきます。

次に、客観的正義と主観的正義の区別を説明します。まず、主観的正義ですが、これは客観的正義を求める心情として、定義されます。この意味では、主観的正義は、道徳によって求められる内面の心情ということになります。

では、客観的正義は、人間関係の正しさを意味し、前述の通り、それは法の規制の関心です。すなわち、客観的正義は、法が奉仕する法価値であることになります。

人間関係の正しさにおいては、客観的な目的が与えられており、それは全ての人間の人格にそなわる尊厳性であります。それゆえ、客観的正義は、すべての人間の人格にそなわる尊厳をつねに目的として扱い、たんに手段としてのみ扱うことを禁止する要請として定式化できると考えます。

他方、実定法においては、「正当性」と「合法性」が区別されます。正当性は、客観的正義の要請によって評価されるものであるに対し、合法性は、実定法において確保されることを要する法的安定性のうちに、その基礎を有します。

すなわち、法の第一次的な目的が、法的安定性に基づく、社会における生命権の確保であり、高次の第二次的目的が、客観的正義における普遍的立法としての、尊厳における人間の平等であると考えます。

正当性に対する合法性の適用上の優越性は、客観的正義の要請であり、すなわち、社会における生命権の確保が、それがなければ全ての基本的人権の享有が妨げられる、優先的な要請であるという、公共性を帯びる規範的な理由に基づくと考えられます。

「補足・基本的人権について」

客観的正義を求める心情を、主観的正義と定義するなら、主観的正義は心情の道徳性を意味する。なぜなら、道徳の関心は内的自由であり、客観的正義によって確保されるべき外的自由を望む理由は、内的自由の可能性の条件を求める、道徳の自己保存にあると考えられるからである。

道徳の価値は、自由な選択意志によって行使されることを必要とする。この、道徳の可能性の条件として求められる、客観的正義に基づく他者の外的自由と両立する自己の外的自由は、自己における道徳の自己保存の主張としての、「基本的権利と自由の尊重」として、自他の人格にそなわる尊厳を尊重することを要請する道徳法則によって、定式化されうると考える。

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