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法的効力の基礎づけと法価値としての客観的正義

(1)「法の外面性、道徳の内面性」

ラートブルフによれば、外部的行態は法的規制に服し、内部的行態は道徳的規制に服するという考えは、法および道徳における関心の方向性を示すものとして、この区別を維持できる。法という現実が奉仕する法価値は、正義であり、それは主観的意味から区別される客観的正義である。

主観的正義とは、「各人に彼のものを帰属させようとする恒常不断の意志」として、正義を人間の性質として見るかぎりは、客観的正義に向けられている心情として定義され、道徳の一現象形式である。

外部的行態は、それが内部的行態を証明するかぎりにおいてのみ、道徳の関心をひく。これに対し、内部的行態は、それが外部的行態を予期せしめるかぎりにおいてのみ法の視野に入る。なぜなら、法価値である正義は、「客観的」意味における正義であり、その意味で正しいことができるのは、「人間相互間の関係」だけであるからである。

<参考文献>ラートブルフ、田中耕太郎訳『法哲学』

(2)「人間の人格における尊厳とその相互関係」

カントは、自分と他人の別を問わず、すべての人間の人格が尊厳性をそなえていて、道徳的に善く生きるには、つねにそれを尊重しなければならない、と考えた。この要請が、カントのいう善意志が従うべき道徳法則である。

<参考文献>宇都宮芳明『倫理学入門』

上記のラートブルフによる法と道徳の区分を念頭に置くと、主観的正義は、自己の行為の規則(格率)が、同時に普遍的法則となることを欲する心情ということになるだろう。なぜなら、あらゆる人間の人格が目的として理性によって与えられており、客観的正義を求めるならば、すべての人間に妥当しうる普遍的な格率によって、行為しなければならないはずだからである。

では、客観的正義とは、そのような普遍的な格率によって規律される人間相互間の関係ということになる。理性によって与えられるわれわれの行為の基準は、格率の普遍性という形式である。すなわち、カントの道徳法則が、法価値としての客観的正義として要請するところのものは、尊厳における人間の平等であり、この法価値への奉仕という意味をもつ現実こそが実定法である、と考えられる。

さらに、「正当性」から区別される「合法性」の基礎は、実定法において確立されることを要する、法的安定性に求められる。法の第一次的な目的は法的安定性による、社会における生命権の確保であり、より高次の第二次的な目的として、客観的正義がある、と考える。そして、法的安定性が優先されることを求めるのは、客観的正義それ自身であり、すなわち、生命権がすべての基本的人権の基礎になければならないという、普遍的な格率に基づく、と考えられる。

実定法は法価値に反することもある。しかし、なんらかの法価値さえ標榜していない「法」規範は、もはや法と呼びうる地位を有していない、裸の力なのである。




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