暑い日も寒い日も一緒に過ごしてくれてありがとうございます。

しかし、私はあなたについて何とも思っていないのです。あなたの話で面白いなと思ったことは一度もないですし、あなたに話す私は本当の私ではないのです。あなたと話した帰り道、私は大きくため息をついて、少し情けなくなります。それは季節によって関係するものではありません。春の暖かさと元来の花粉症の発生によって、涙目になっている日や、うっとうしいくらい湿度が高く、これではどんなに乾いたものにも潤いを与えてしまうのではないのかというような梅雨の日も、熱すぎる夏の日も、大好きな秋の午後も、寒くて手の感覚がなくなり、このまま感覚がなくなってしまったら、私という存在さえもなくなってしまうのではないかと不安になる冬の日も、あなたと会った帰り道には、ため息を吐くのです。

latestという言葉はとても不思議です。lateという言葉は「遅い、遅れ」を表しているのに、latestは「最新」を表すからです。きっと、私たちは長い直線のようになっているように見えて実は一つの円になっていて、一番遅れているように見えている人が、早いと思われている人の前にいるということなのではないでしょうか。もし、そうなのだとしたら、それはとても気持ち悪いです。映画「ムカデ人間」を思い出すからです。あれは最悪でした。もしかして、とても浅いことを私は言っていますか?

まあ実際、浅い・深い、強い・弱い、賢い・馬鹿など、そういった指標は私の中には存在しません。鴨長明を敬愛して、彼の「方丈記」を読み込んだ私には無常観なるものが流れ込んでくるからです。しかし、最近では、彼が、言葉ではあのようなことを言っておいて、実は俗世間にもあこがれを感じていたのではないかと考えているのです。山奥の小さな小屋に一人住んでいて、寂しくないわけがないのです。もし、彼がそれでも寂しいと感じていないのだとしたら、私は彼にはかないません。大昔の文明も発展していない時代の一人にすら勝てないのです。私だって必死の毎日考えながら生きているのに。

この前、自転車に乗った短ランを着たヤンキーが郵便局の車に、「どけよ、てめえ」といっているのを見ました。そんなことを言わないでよと私は思いました。そもそも、車に意識はないのだし、運転する人もいない、車にそんなことを言っても仕方がないことだと私は思いました。それでも言葉にしなかった私の言葉は彼には届かないのです。

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