老害の弊害

職業訓練が終わったものの、中途半端なまんまなのと、全集中していた分の疲れの中で、いろいろなことが始まりつつあるジェニーです


なんとかハラスメントとかもそうだけれど、
「老害」も例外ではなく

なんてゆうか、
結局、それを決めるのは、受けた側の本人なので、

周りがどうこう言うのもおかしい気がするし、

気にしたところで、十人十色で、
なんだか、とっても不毛に思えるのです


しかも、年齢が上だから害とか下だから良いとかもおかしい


確かに、どんな価値観してんだって思う人もいるけれど、
その人がそうなだけであって、
たまたま、お爺とかお婆だったら、「老害」って括るんだろうけれど、


馬鹿っぽい


そして、それを機にするあまりに、何も言えなくなるって

勿体無い


でも、そこを考慮する気持ちが微塵もないからこそ「老害」になりうる
っても思う


そ、


だから、外野で「老害だー」っていくら騒いでも、
そう思われることをする人に届いていないんだから、
そんな言葉すら無意味


何かを言われたり、されたりで、嫌な気持ちになった時に、
たまたま相手が高齢で、
言い返せる感じでもなく、
溜まった鬱憤を晴らすために、
「老害」って言ったとしても

だから何?

ってことなんです


その「老害」の本人に、それを解らせることよりも、


何を言われたにせよ、


そこから、その事象をどう捉え、どう自分に活かしていくのかは、
自分次第


ある意味、その「老害」さんは関係無い

無視していい


し、


そんな人のことをずっと気に病むより、

自分の成長に何をどう取り入れていくか、

そっちにフォーカスする方が

ずっと心が軽いはず


でも、きっと
波動の違いもある


低い波動のままだと、
低い現象に引っ張られたままになる


でも、こんな低い波動のままは嫌だー!!!
ってなったら、
気づけたらなら、

いっときは、悪態ついてもいいけれど、
全部、
自分の声、言葉、出したものは、全部、自分に返るから

言葉じゃない、声の方がいいかもしれない


「うあーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっ」


って発散して、

切り替える


声や言葉にならない、感情、身体の感覚を、
ただ味わう

メラメラ燃える炎と共に、でもいいし

ダーダーと流れる水を、眺めるでもいいし、

地団駄を踏んで、大地に、自分に、響く音や振動を感じてもいい


今、若くても、
人間は皆等しく、年齢を重ねる


言葉遊びみたいに、誰かを傷つけ、負かして、
自分を正当化して、優位に立って、必死で、自分を誇示し、
そうしないと、
消えそうだから、
生きられないから、
と、思い込んで

必死で、そうしているんだろうけれど、


本当の自分を知れば、

それが、

どれほど、カッコ悪いことか、
わかる



でも、まー、そうやって

学んで

大人になるのかも知れない




それぞれの立場で、

誰かの「害」にならないようにって

誰かの「役」に立てていなきゃだめだって


なんで、そんなに人からの評価を自分の軸にしてしまうのか


どんどん、「自分」が小さくなってしまうのに


いや


自分が「自分」を小さく評価するから、ますます小さくなってしまうのか


自己中であることと、
自分を大事にすることは、

どれだけ、自分を愛で満たせているかで変わるんだと思う


人に喜ばれるって嬉しいけれど、
まずは、自分を喜ばせてなんぼ


自分に厳しいと、人にも厳しくなる

その波動が、相手にとっては「害」に感じるのかも


素直に、自分が思ったことを言うってことを自分に許可していると、
その波動は、そこまで重く無いかも


それこそ、昔は、もっと重々しく、愛があってもなくても、
相手のためを思って、責任も取るつもりで発言し、
ある意味、ちゃんとしてる、腹括ってる


でも、今の時代は、もっと軽いんだと思う

良い意味でも悪い意味でも


言う側も、言われる側も

だから、軽く受け止めて、軽く流しても良いんだと思う


全部、自分次第


自分が自分をしっかり持つ


そうだな、
「老害」って言葉を使う人を私はそもそも相手にしない


そう決めた



ではまた〜♪

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