こうしなきゃいけないことなんてない、なんてことはないと思ったけれど、あったよ
今日は吹き荒れる雨風の如く腰と頭が痛いジェニーです
さて、体調が悪いと余計にも無理をしないようにと努めているのですが、無意識に自分が自分に厳しくしているときがあります
外側ではなく、それが自分の内側で起こっていることだと意外と気付きません
私は愛犬の死を、病気を、全て自分の責任だと思っています
動物は言葉を話せないし、痛いことも、苦しいことも、辛いことも、むしろ飼い主の分まで背負っていたりします
結局は人間よりも小さな生き物
そして人間よりも賢く優しく健気な生き物
だいぶ、自分を許してきたつもりだったけれど、あの悔しさも、悲しみも、辛さも、忘れられるものではなく
ただただ愛犬に「ごめんね」って思うばかりで
半年くらいして、アニマルコミュニケーションを半信半疑で受けて、でもそうでもしなきゃいられなくて、結果、本当に良かったって思いました
愛犬の言葉だって、私は信じられました
信じたかったのもあるけれど、本当に、私と愛犬しか知らないことも話しに出てきたので、涙と鼻水で大洪水でしたが、心が少し救われました
愛犬は一ミリも恨みも不満もなく、私への感謝と、面白エピソードを残して、むしろもう次のステージに向かう準備をしている
新しい命の誕生だよって
お互いに、新しい自分を生きる時だよって
前を向かなきゃ
そう思うし、頭では分かっているけれど
まだまだ私は自分を責めてしまいました
あれで良かったなんて思えない
私は間違っていなかったなんて思えない
最低で、最悪で、間違いだらけで、浅はか過ぎて、悔やんでも悔やみきれない
重罪
自分で自分を罰していました
それは、明らかに自分に対する虐待
事実は変えられないけれど、自分を責めすぎるのは、やめなければいけないこと
あーしなきゃとか、こーしなきゃとか、こうでなければとか、こうあるべきとか、
ただの思い込みなら、そこまで大したことじゃない
でも、自分で自分の首を絞める思考は、意識的に、強制的に、止めなければいけないことなんだと今日教わりました
自分をどんどん深い穴の中に押し込んで、押し込んで、埋めて埋めて、沈めて沈めていく、その時間も労力も方向性も、切り刻んだその先にあるものは
光ではなく
再起不能の自分
身も心もボロボロになってしまう
思考で傷つけ続けたら、必ず、身体にも現れる
内蔵、筋肉、神経、リンパ腺、血液、皮膚、痛みやしこりや、炎症や、突然機能不全になることもあるかも
だって、自分が殺しているんだから
そんな心と身体の状態で、現実だけはうまくいくってことはない
いや、むしろ良いことだらけでも、受け取れないから、全て悪く捉える
そこでまた、本当に悪くなって、さらに確信しながら悪くなる
まさに負のループ
そんなの、愛犬は望んでいない
誰も望んでいない
もちろん「自分」だって
「間違ってしまった・・・」
そこを許せなくてもいい
愛する存在を、私のせいで亡くしてしまった、しかも苦しませてしまった
そんな自分が許せない
それでもいい
その感情はそのままで
もう一人、別の自分も登場させる
「うん、間違いだった。悔しいし、苦しいね。でも、私はあなたに生きてほしい」
「私はあなたが今生きていることが嬉しい。だから大事にするよ。優しくするよ」
「罪を抱えたまま、自分を許せないあなたを、そのまま愛するよ」
って、存在をつくる
人に言うことじゃないけれど、自分の中でだけ、自分を保つため、自分を活かすため、生きていくため、愛犬のためにも、自分の内側に一人でも二人でも100人でも、自分を絶対的に肯定するキャラを登場させて、自分を傷つけることを全力で阻止することの意義は大きいと思う
今日、このことを書こうと思った時、なぜかメキシカンなマリア様を思い浮かべて、画像を探していたら、昨日お別れした多肉植物ちゃんの名前と一緒だった
そうか、大きく育っていたら、とまた自分を責めそうになるけれど、マリア様が身をもって教えてくれた、そして、タイミングを教えてくれていた、としよう
そして、また自分のお城に住んだ時に、メキシカンマリアを育てよう
学習しない、反省しない、馬鹿も嫌いだけれど、自分のことをダメなやつ、とか、なんて使えないんだ、とか、否定するのはもっと馬鹿なのかも
うん
よりよく生きよう♪
ではまたー
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