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十人十色ということを心の中に

 しかるに今日の人間の条件は異っている。現代人は無限定な世界に住んでいる。私は私の使っている道具が何処の何某の作ったものであるかを知らないし、私が拠より所にしている報道や知識も何処の何某から出たものであるかを知らない。すべてがアノニム(無名)のものであるというのみでない。すべてがアモルフ(無定形)のものである。かような生活条件のうちに生きるものとして現代人自身も無名な、無定形なものとなり、無性格なものとなっている。 ー人生論ノート 人間の条件についてー

職場に行って、「この仕事誰でもできるな」と思いながら、他の人と同じような仕事をしている人、私も含めて多いかもしれません。でもそれは、誰でもできるようでないと、例えば私が長めの休みになったとき、組織が回っていかないから、そう言う部分も必要だというのは理解できるのですけれどね。

そんな、仕事を現代人の多くはしていると思います。(してないようであればすいません。)逆側にたって考えても、この商品は「誰の」仕事かって意識することは少ないですよね。そんな時代なので、私達が自分の個性を意識する瞬間って、日常の中で、特に仕事の中では、少なくなっているような気がします。

平等が叫ばれることが多くなったような気がしますが、「個性が大事」だと言うようなことが言われることは少なくなってきたように思えます。このような世相が背景にあるからかもしれません。

人にはそれぞれ異なる個性があります。そのことを認識することが、差別の問題やダイバーシティーを考える上で、基礎の部分になってくると思います。上辺だけ平等にとりあつかっていると思える制度を整えても、偏見を前提にした制度よりは良いかもしれませんが、人の能力は皆大体同じという仮定にたってしまうと誤ってしまうように思えます。

精神論を重視してしまうきらいがありますが、すべての人が、異なる肉体、異なる価値観、異なる感情を持っているわけですから、各人が他者に配慮しながら、各人がそれぞれの幸福を追求できる社会の構築を目指すことこそが一つのゴールになるように思えます。

#エッセイ #人生論ノート #三木清 #人間の条件について