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337年前(1685年)の偉人達は?

あけましておめとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、本年は2022年になります。

2022を素因数分解すると、$${2022=2*3*337}$$となります。ですので、2022年というのは西暦にして6回目の337の倍数年ということになります。ちなみに337は68番目の素数です。

ここで、337年前、5回目の337の倍数年である1685年はどのような年だったのでしょうか。簡単に調べたのですが、あまり大きな出来事がおこっていなさそうだったので、人物に焦点を当て偉人達が1685年何をやっていたかをみていきたいと思います。

松尾芭蕉(41歳) 「野ざらし紀行」の旅から戻り、江戸に帰る。ちなみに翌年1686年に有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」という句を詠む。

井原西鶴(43歳)  1682年に「好色一代男」を発表し、ベストセラー作家となっている。1685年には浄瑠璃「暦」「凱陣八嶋」を発表する。

近松門左衛門(32歳) 駆け出しの浄瑠璃作家。この年「出世景清」を発表。これは、竹本義太夫がライバル加賀掾で上演された井原西鶴の「凱陣八嶋」に対抗するために依頼したもの。

菱川師宣(67歳?) 人気絵師として地位をきづいている。1684年には井原西鶴の好色一代男が江戸で刊行される際にはその挿絵を担当した。

尾形光琳(27歳) 尾形家のごくつぶし

渋川春海(46歳) 自身が開発した暦「貞享暦」が1685年公式に作用され、天文方に任ぜられる。

関孝和(40代?) 現代でいうところの行列式の研究および発表を行っている最中。

3代目大橋宗与(37歳) 5代目大橋宗桂に角落ちで勝利したので、今度は香落ちで勝負を願うも怒られる。

大石内蔵助(25歳) 赤穂藩の筆頭家老であるも、昼行燈とあだ名をつけられるほど、役に立たない人であったという。

吉良上野介(43歳) 左近衛権少将。嫡男である次男を失う。

新井白石(28歳) 仕えていた主君が刺殺され、みずから退いて浪人し独学で儒教を学ぶ。

荻原茂秀(27歳) 勘定組頭として幕府の財政を担当する。

荻生徂徠(19歳) 千葉県茂原にて独学で学問を行う。

徳川綱吉(39歳) このころ、生類憐みの令を出したとされる。

徳川吉宗(1歳) 紀州藩の第2代藩主の4男として前年生まれる。

ニュートン(43歳)(海外) ハレーの求めに応じ、プリンキピアの出筆に向け励んでいたころと思われる。

ヘンデル&バッハ(0歳)(海外) 生まれる。

名声を獲得したもの。まもなく世間に名をはせるもの。雌伏のときを囲うもの。平凡な人生を送っていたもの。様々あげたつもりです。こうして並べてみると面白い気がします。(忠臣蔵の二人はどちらが討ち入りされたかわかりませんね。)

また、同時期の西洋、大航海時代が16世紀にあったため17世紀の後半はもっと文明が進んでいるかと思いましたが、調べてみると微積分も万有引力も出来立ての概念でありました。まだピアノも普及していない時代でした。パッヘルベルのカノンがこの時代に生まれたとか、生まれてないとか。

あんまり、「ニッポンチャチャチャ」は好きではないのですが、こうみると、日本においてもこの時期の学問や文化の水準が西洋と比べてそう劣っていないようにも見えるのですが、いかがでしょうか。

ヨーロッパでは17世紀にペストの流行がありました。その前の流行が1685年のちょうど337年前の1348年にヨーロッパで始まりました。現在の状況をかんがみると興味深い部分もあります。

尾形光琳も337年後、こんなブログのネタにされるとは思うことはなかったでしょう。翻って、337年後の2359年、後世の人たちに2022年はどのように語られるようになるのでしょうか。できるのであれば、後世の人に誇れるとまでいかなくても、批判に耐えうるような生き方をしていければと思います。

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