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『人生論ノート』 ー虚無からの形成力ー

『人生論ノート』は哲学者の三木清が戦時中に刊行されたエッセー集です。わたしは100分de名著という番組でこの本と出合いましたが、実際に手に取って読んでみると、番組で紹介されていた部分もさる事ながら、紹介されていない部分にも、多く心に残った言葉があります。そのいくつかを紹介できればと思っています。


生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。
                  人生論ノート 人間の条件について

番組でも紹介されていましたが、この本の中で、もっとも心に残ったことばです。虚無という言葉が捉えづらいかなと思いますが、意味のないもの、あるいは実体のないものと言い換えても間違いはないのかなと思います。

世の中の事物それ事態には意味がない、私という存在も原子の集合体という意味では意味を持たない。愛とか正義とかは実体がない。そんな世界に生命はというのは意味をもたせるものであると言います。つまり、何もない、意味がない、実体のないものから私や愛や希望を生み出していくことこそ生命ということだといっているのだと思います。

秩序は生命あらしめる原理である。そこにはつねに温かさがなければならぬ。ひとは暖かさによって生命の存在を感知する。

また秩序は充実させるものでなければならぬ。単に切り捨てたり取り払ったりするだけで秩序ができるものではない。虚無は明らかに秩序とは反対のものである。

作ることによって知るということが大切である。これが近代科学における実証的精神であり、道徳もその意味において全く実証的でなければならぬ。
                     人生論ノート 秩序について

ここでいう秩序という言葉は前段の形成するという言葉と同義だと思われます。形成すること、秩序たてること、表現すること、作ることについては人間論ノートの中でポジティブに捉えられている行為です。三木は考えているだけでは行為は成立していなくて、それに伴った実際の行動を重要視しているように思えます。実践が大事。またそれにはあたたかさが必要だとも言っています。

別の箇所で生きる意味についてこのように書いています。

各人はいわば一つの仮説を証明するために生きている。(中略)もとより、それは、なんでも勝手にやってみることではなく、自分がそれを証明するために生れた固有の仮説を追求することである。
                     人生論ノート 仮説について

確実なものは不確実のものの上に立脚しているという三木の仮説がこの言葉の根底にあります。確実なものを打ち立てるために不確実なものから仮説をたてて確実なものを求める。人生もまた、不確実なものの上に立脚しているので、生きていくという行為は仮説を立ててそれを追求することと同じであると。

さて、虚無からの形成力を考えているうちに、自分が好きなアーティストの歌詞が浮かんだので紹介します。

ロンリー グローリー 最果てなど無いと知る
この歩みよりも もっと速く 飛び続けてる光ならば
オンリー グローリー それこそが狙うトロフィー
特別じゃない この手を
特別と名付ける為の光
         bump of chicken 『オンリー ロンリー グローリー』

特別でないこの手が飛び続ける光を求めて歩み続ける。その「歩み」こそが聖なる行為なんだとこの曲は歌います。三木の言うところの虚無からの形成と同様な気がしてなりません。

生きることは形成すること、秩序たてること、あなた固有の仮説を追求することであると主張する三木にわたしはとても共感するしました。まだまだ紹介したい文章がありますがとりあえず今回はこれまで。

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