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また春が来てぼくらは-大学卒業に寄せて

 いよいよ本格的に春が近づいて来ましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。こんにちは、ぴーよという名前でインターネットを楽しんでいる者です。由来はリアルのあだ名です。
 そんな私ですが、今日をもって大学を卒業しました。

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 弊学で過ごした4年間、そしてその前に通っていた1年を合わせて計5年間も「職業:大学生」をやっていたわけですが、振り返ってみるとまあなんだか寂しいもので。5年前、高校を卒業したばかりの私は何を思っていたかなんて今となってはあまり思い出せないけれど、きっと当時の自分には想像もできなかった23歳の春を迎えています。そもそも23歳で大学生やってる予定は無かったよ……

 さて、みなさんにとっての“春ソング”といえば何ですか?
 という唐突な問いかけ。まあ春ソングとひとくちに言っても、卒業ソング、桜ソングなど、ジャンルも様々だが、それぞれに数が多く結構な激戦だろう。各音楽番組で卒業ソング特集なんかをやっているが、毎年新たなものが増え、総数はかなり多くなっているのではないだろうか。そんな中、この数年で私に圧倒的な影響を与えてきた春ソングの話をしたい。

 この曲は2018年3月リリースで、当時ちょうどユニゾンに興味を持って聴き始めた私にとっては、初めての“リアルタイムでのリリース”であった。リリースプロモーションのテレビやラジオ、雑誌なんかを探して追いかけるというのを初めて経験したのはこのシングルだっただろう。その頃の話はここでちょっと触れてます↓

 この曲の好きなところは、MV、メンバーの作画が良い、前向きな歌詞、ストリングスを用いたメロディ…… など、音楽素人には浅いことしか言えない。ので、この曲と私の思い出について、卒業に際して書き記しておきたい。

 私は大学のサークルで書道をしていた。幼い頃から習字を習い、1番続いた習い事でもあったから、なんとなく辞めるのが勿体ないなと思って大学でも続ける道を選んだ。ただそれだけだったのだが、このサークルでは“書道パフォーマンス”というものに力を入れていた。
 書道パフォーマンスとは、音楽に乗せて、大きな紙に大きな筆を使って文字を書いていくものである。かつて映画化されたこともあり、どこかで見聞きしたことがあるのではないかと思う。(書道パフォーマンスが観客のことを思いやらずほとんど自己表現と自己満足のためのものである、ということを思わなくもないが、今回は触れないでおく。)
 私はこの書道パフォーマンスを、2回生の春休みに入学後初めて経験していた。サークル内部の事情でそれまでは縁がなかったのだが、最後の機会にチャレンジすることとした。
 そこで、何の曲でパフォーマンスをするかを選ぶときに、私は「春が来てぼくら」をゴリ押しした。ちょうど時期が春であること、新歓のために行うものだから明るい曲であること、歌詞に“筆を躍らせる”という言葉があること、などの理由を並べ立てた。
 すると案外多数決で通ってしまい、運良く私はその曲でパフォーマンスに参加することとなったのだった。

 そこからは紙面の構成や書くタイミングを考えたり、曲に合わせて練習したり。そもそも普段の書道では立てかけた紙に書くということが無いから、角度のある状態で文字を書く訓練もした。棒立ちなどリズムに乗って書かなければ観客には響かないから、足腰の使い方も客観的に見ながら研究した(元来運動やダンスの類が壊滅的に苦手な私にとってはかなり辛かった)。
 そんなこんなで曲を決めてから2ヶ月半、それはもう飽きるほど「春が来てぼくら」を聴き練習をし続けた。
 本番の映像はこちら、1つ目の動画の2曲目(6:20ごろ~)
(一応HPで公開しているものなのでリンクを貼っておくが、マズイようなら消します)
 ↓
https://photos.app.goo.gl/yHBzJBxPPz4yw9McA

 執念で自分の推し曲をパフォーマンスに使わせてもらったが、本当にいい経験ができたと思っている。
 書道的な話を少しだけしておくと、私は元々大陸系の強い・太い文字をあまり好んでいなかった。習字をしていた頃から大学入学後に臨書をするときまで、ずっと日本的で柔らかい文字を美しいと感じ、それを真似てきた。

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 しかし、書道パフォーマンスにおいては細さや繊細さは求められておらず、数メートル離れたところにいる観客に文字を読ませること、ある程度読める文字であれば形や美しさよりもリズミカルであることが好まれること、太さや力強さで迫力を出すこと、が最重要とされることが多い。私の書風とはかなり異なるものであるが、必要に迫られて書道パフォーマンスのために練習してみると、“意外と自分でも書けた”、“そんなに悪くないものかもしれない”と、書道に対する見方が少し変わった。視野を広げることができたという意味においても、この書道パフォーマンスは私にとっての財産となった。

 そして、この曲を使って書道パフォーマンスをしてみて、「春が来てぼくら」という曲について分かったことがいくつかあった。
 一つは、歌詞の難解さだ。紙面構成を考えるときにはしばしば曲の歌詞を用いるのだが、ユニゾンの歌詞はストレートでない言い回しも多く、抜き出して書いても意味が伝わらない、というものだ。また、サビの歌詞などの目立つ部分に字として映える文字が少ないこともあった(こればっかりは仕方ないことだが)。それ故に紙面で目立つ歌詞が曲の中ではさほど重要でないフレーズになっているところがある。
 私個人として1番好きな歌詞は「また春が来て僕らは ごめんね 欲張ってしまう」という箇所。“ごめんね”と謝っているところがポイントで、他者に対して求めるのではなく与えるようにしろという言説を思い出すが、そういうことを言っているんじゃないかと理解している。
 また、前述の通り、「筆を躍らせる僕らは」という部分は、書道パフォーマンスのためにあるんじゃないかとすら思わされる(本当は絵筆のことなんだろうけど)。「筆を躍らせる僕らは この時を止めてしまいたくなる」という2番サビの歌詞は、書道パフォーマンスをしている私の心情そのものだった。楽しい、自分を解き放てた気がする、友達ができた、などのポジティブな感情とともにパフォーマンスをしていたため、この歌詞を聴きながら書きながら感極まって泣きそうになってしまった。これが終わったらもう二度とパフォーマンスをすることは無いんだ、この時がいつまでも続いてくれ、なんて柄にもないことを思ってしまった。

 そして、「春が来てぼくら」についてもう一つ分かったことは、この曲は何度聴いても飽きないメロディをしている、ということだ。 聴きすぎて嫌いになるかも、という可能性に当初気付いていなかった私も私なのだが、そんなことは起こらず、何度聴いても本当に好きだと思い続けている。寒い中屋外で暗くなるまで練習をしていたことを思えば多少辛い思い出にもなりうるはずなのだが、この曲に対してネガティブな印象を全く持たないまま今日に至っている。音楽的に分析することはできないが、飽きさせない工夫が何かあるのだろうか、転調が多いとかか? なんて思ってしまう。

 これがもう2年前の春のことだ。去年の春は気付いたらなくなってしまっていたので、私にとっての、大学生活最後の春の記憶になる。みんなで練習したり遊んだりした日々は私にとってはどうしようもないほどかけがえのない“青春の思い出”であり、その記憶には「春が来てぼくら」が共にあり続けるだろう。

 大学を卒業した今、自分の大学生活を振り返ってみると、本当に遊んで楽しんでいたことしか思い出されない。一度大学を辞めたこともあるが、勿論その大学も悪いところではなかった。今の大学に入るためにはそれなりに勉強もしたし苦労もしたけれど、入ってからはフワフワと楽しかったなあ、という感想ばかりだ。第二外国語で選んだスペイン語はほぼ喋れないし、法学部なのに法律系の授業の単位はめちゃ落としたし、定期試験のための勉強はしんどかったし、ゼミでの研究は浅かった。学部やクラスに友達はあんまりいなかったし、サークルはいつしか幽霊部員になってたところもあったし、就活は長かったししんどかった。他サークルとの折衝が面倒だったりもしたけど、書道は楽しかったし多分多少上達したし、書道展の運営もとても面白かった。サークルでは人に恵まれて先輩とも後輩とも同期とも沢山遊んだし、友達もできた。在学中に趣味が増えたし、その趣味と書道を結びつけることもできた。この大学で、私は十分すぎるほどのものを得ることができました。本当に、私は私の大学生活に満足しています。
 4月からは新社会人として、企業の一員になります。今までのようにフワフワした気持ちではいられないし、頻繁にライブに行くこともできなくなるし、自分に責任を持たなきゃいけなくなるでしょう。
 それでも、自分のこれまでの人生を振り返って、いつでも“自分の人生に満足だ”と言えるように、頑張っていきたいと思っています。
 以上、卒業に際しての所信表明でした。最早春が来てぼくらが関係無いが……



 ここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。良ければこれを機に「春が来てぼくら」のことを好きになってください。もうすでに好きな方はもっと好きになってください。ついでに、新生活の春、「新しいページに絵の具を落とす」誰かのことを、もしよければそんな私のことを、そっと応援してあげてください。

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