スニーカー・ブルゥス ~ビッグ・フット伝説、あるいは、無い気……メガマックス~

壁面にずらりと並ぶスニーカー。その上部にはブランドロゴが堂々と掲げられており、スニーカーとロゴのひとかたまりが、店舗面積の限り横にずらりと続いている。
男はまじまじとその靴壁群を物色し、最大限に琴線に触れるスニーカーを探す。その眼は中古のレコードショップで名盤を探すマニア、あるいはステージで自分を最もヒーローにさせ得るギターを吟味する夢見がちな少年のそれと相違ない。
日常的に身に付けるものだ。妥協はすまい。性能もデザインも、なるべく納得がいくものを選びたい。当然、安物買いの銭失いをする気もない。

彼が履いているのはナイキ「エアマックスゼロ」。柔らかなイエローと、ミルキーなホワイトのコントラストが鮮やかな一足。ナイキのデザイナーであるティンカー・ハットフィールドが30年以上前に描いたものの、近年まで人目に触れることのなかったエアマックスの原型となるスケッチを、現在のテクノロジーで再現した名作である。
相当履き込んだのか、箱から取り出した当初に比べると、モヤがかかったように薄汚れた雰囲気があり、ヒールの内側は破れ、プラスチックの部品が剥き出しになっていた。厚手の靴下を伴えば履けないこともないが、どう考えても買い替えのタイミングである。
心より気に入ったスニーカーはしっかりと履き、最期まで自分の足と共に過ごさせたい。買うだけ買って飾っておくような愛好家に、彼はなることができない。

彼が目をつけたのは、ナイキ「エアマックス95(韓国)」。サッカー韓国代表チームのユニフォームから着想を得たデザインは、ホワイトをベースにしたエアマックス95にロイヤルティント・レーサーピンク・ブラックの3色をアーティスティックに配したもの。店内のどのスニーカーと、もちろん同モデルの他色と比べても、一際目を引く鮮烈な一足だった。

「すいません、これ。サイズ探してほしいんですけど」
「はーいかしこまりましたー」
直りきらない寝癖をぴょこぴょこさせながら、冴えない顔の青年が小走りで駆けてくる。店員だ。
小さな垂れ目、太くて短い眉、烏帽子帽を被せて顔を白塗りでもしたら、その日からきっとあだ名が「マロ」になる──そんな顔立ち。加えてこの絶妙な覇気の無さは、少年漫画の第8話あたりで話の中心となり、危ないところを主人公に助けられる、それでいてそれ以降登場しないモブキャラのようだ。
しかし、主人公の物語に関与しないところで彼には彼の人生があり、悪しき者との戦いにこそまるで役に立たないが、この店を訪れる顧客の期待に充分応えるに値する職能をその身に秘めている。

「えーと……これですね」
慣れた手つきで品番を確認する。
「何センチでしょうか」
男はほんのりと眼を曇らせながら、やや苦々しげな口調で告げる。
「…30cmを」
店員の目に、わずかに鋭い光が宿る。
「…30cmですね。畏まりました」
呼びかけられた際とは打って変わって、声に緊張感が籠る。先程よりもほんの少しだけ足を速め、バックヤードに消えていった。

30cm。
高校1年にして到達した彼の足のサイズは、幸いそれ以降は大きくなっていない。
とはいえ、難儀する。スニーカーの多くは28cm程度までしか製造されていない。気に入ったデザインのものを見つけても、サイズが製造されていないなどということはザラにある。その度にショックを受けつつも、根気よく次点を探すのだ。

人気マンガやアニメとのコラボスニーカーの広告がよくファッション誌に載るが、あれなんかは大きくても27cmまでである。到底縁がない。もしも願いが叶うなら、足のサイズを縮めてジョジョコラボのスニーカーを履きたい。2013年発売のコンバース「ジョジョの奇妙な冒険×CONVERSE ALL STAR HI/JO」は29cmまで取り扱いがあったが、ベースモデルの試着をしてみたところ、彼の足は激しく締め付けられ、その閉塞感が血管に乗って全身に駆け巡り、結局その日は他の買い物予定さえもすべてキャンセルして家に帰ってしまった。

運良く製造されていたとしても店舗には在庫が無いことが多い。取り寄せるか、在庫のある店舗まで足を伸ばすか。試着ができないため気は進まないが、最後の手段として通販に頼るという手もある。まぁあるだけ幸いというものだ。

また、サイズを見つけることができるスニーカーの多くは、有名スポーツブランドの有名モデルだ。ともすればそれなりの値段はしてしまう。
もちろん、機能的にもしっかりしたものにはなる。繰り返すが、安物買いの銭失いをする気もない。悪くはない。悪くはないのだが、しかし。

以前のアルバイト先での話だ。新年度からの制服変更に伴い、急に黒いスニーカーを用意するように言われたのである。その際にどうしてもサイズが見つからず、やむなくアディダス「スタンスミス」の黒を購入した。当時で14,000円ほど。
立ち仕事であり、靴底がよくすり減る職場だった。彼にとって、たかだかアルバイトのために履く靴にそこまでの金額を支払うのは愉快なことではない。「スタンスミス」といえばアディダスの人気定番モデルであり、プライベートでホワイトカラーのものを履くこともあったが、しかしこのモデルのブラックに関しては、彼の好みではなかったのだ。
好まざるものに月のバイト代の2割弱を持っていかれたのは精神的な痛手に他ならない。しかも会社都合のくせに補助費が出るわけでもない。半日をかけて4店舗も回り、結局そんな落とし所になってしまったことにもひどく辟易した。

とにかく、彼にとって靴探しは大変な心の旅。相当な大仕事なのである。

「お客様ー」
店員が三度小走りで戻ってきた。手ぶらで。彼は事の次第を察した。
「無いですよね」
「申し訳ございません…」
「製造もされてないですか」
「製造自体は30cmまであるんですけど…」
店員は腰に掛けた小型の端末を手に取る。
「店内には在庫が無くて、取り寄せるにしても、お客様のサイズは全国に5足しか無くて…」
伝説の武器かなにかか。
「このモデルの30cmを手に入れるには、全国にいるスニーカー四天王を倒し、実力を認められなければなりません。四天王を倒し、その証をお持ち頂いて初めてお取り寄せができる……という形になってしまいまして……」

なにを言っているのか。しかし店員の表情は真剣そのものである。よくわからんが乗ってみよう。
「四天王を倒してる間に他の人に買われてしまうと」
「そうですね、他のお客様が先に四天王を倒して間に合わない、という可能性も……」
「ちなみに四天王というのは」
「はい。まず……」
店員は依然真剣な眼差しで語りかける。

「滋賀県は琵琶湖に棲まうスニーカー天狗・荒伏守種久(あらふしのかみたねひさ)。海と見紛う巨大な湖の神秘の力で人智を越えた妖術を扱う、エアジョーダン使いと言われています」

「2人目は、広島県は厳島神社を拠点とするスニーカー僧侶・各務原遇亭(かがみはらぐうてい)、月の引力によって厳島神社の満潮・干潮を操っていると言われる神の遣いです。特定のモデルではなく、オニツカタイガー全般を使う手強い人です」

「3人目、北海道は幸福駅に居るとされるスニーカー仙人・神津舟之上劉信(かみつふねのかみりゅうしん)。温厚で誰からも好かれる好々爺ですが、人々の願い・念をエネルギー体として凝縮し戦う、白熊も怯えて逃げ出すという願事仙術を会得した、アシックスはタイガーの使い手です」

「そして最後の1人。富士山の頂上にて姿を見せる、スニーカー神霊・山口高雄(やまぐっちたかお)。山口と書いて『ヤマグッチ』と読みます。本当の実力を持つものの前にしか姿を顕さないと言われていて、その多くが謎に包まれた最強のスニーカー使いとされています」

重苦しい空気が流れる。2人の周囲に張り詰めたなにかしらが、他の客や店員を寄せ付けなかった。
「それでも、四天王を倒してナイキ『エアマックス95(韓国)』30cmのお取り寄せをなさいますか」
「…………」
呼吸を忘れるほど、真に迫る覇気。今まさにこの店員は、モブなどではなく、運命を決める重要な人物。
「いずれも手強い相手です。厳しい戦い、辛い旅になることでしょう。それでも、あなたはそれを成し遂げ得るだけの力を秘めている。私にはそう思えます」
熱く炎の宿る眼差し。男はその眼差しに呼応するように、あるいは包み込むように、優しく、強かな、それでいて決意を固めた雄々しい眼で真っ直ぐに店員を見据え、口を開いた。

「じゃあ、いいです」
「すいませェ~~~~ん」
いえいえ、と微笑み、礼を述べ、男は店を後にした。

「またのご来店をー」
今日もだ。やっぱりスニーカーを買うのは楽じゃない。足が大きくて良かったことなんてひとつもない。
店の外に出ると、激しい熱気が男の顔に吹き付けた。やり返すわけでもないが、大きくため息をつく。
ため息は人生の息継ぎだ。今日はアイスを買って帰ろうと決めた。気分はガリガリ君のソーダ味。ザ・オーソドックス。これならだいたいどこにでも売っている。

ゴム紐で首にかけていたハットをふわりと頭に乗せる。炎天下の中、男はゆっくりと歩き出した。

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