見出し画像

神社であった怖いかもしれない話〜人形供養について〜

お久しぶりです。はじめましての方ははじめまして
大学生から神社勤めになった渡莉鴉です

このタイトルで来た方は私が神職になった経緯等より気になっていることがあると思うので、今回はこの更新までにあったあれこれは省略させていただき、つい最近あった怖いかもしれない話をさせていただきます

私がなぜ怖いかも「しれない」という言い方をするのかというと、私は霊感がそれほど強くないという自負があるからです。「もしかしたらこの臭いはあの人の生霊かも」という経験はあるのですが、心霊現象を目で見たことがあるわけではないですし、ましてや心霊スポットに行ったこともありません。なので、この話はあくまで霊感のない人が脚色してやっと形になった怪談話程度に考えていただければと思います

「荷物を抱えた男性」

その日は、とても忙しい日でした。大安(ご祈祷やお祝い事に良いとされる)の日で、参拝者様の人数がそもそも多かったですし、ご祈祷の予約も沢山入っていました
私があるご祈祷を終えて社務所に戻ってくると、箱をいくつか抱えた男性がいました。ひとつは某引越し業者のダンボールで、後のふたつは五月人形(かぶと等)やおひな様を入れる漆塗りの箱でした

すぐに「人形供養だ」とわかりました。生き物の代わりの役目を果たし、人間の生活に深く関わる人形やぬいぐるみは、多くの方が処分前にお焚き上げを希望されるのです
私は男性に声をかけ、申込書を渡します

「お焚き上げですかー」
「あ、はいそうです」
「お預かりしますので置いといてください、あとこちらの記入をお願いしますー」

事務職員の方に箱を預かってもらい、私は申込書の確認をしていました。すると、男性がおずおずとこう言ったのです

「あのぉ…ある人から、厄除けをした方がいいと言われまして、そういうのって」
「厄除祈願ですか?」

ある人が誰かはわかりませんが、私は彼がスピリチュアルか占いに興味がある方なのかな、と思いました。日本にも古来から生まれで運命の星を定める考え方がありますし、占い師の方の中には星を扱われる人もいるだろうから、その流れで神社でやることにしたのかなーと考えたのです。そんなこんなで、ご新規で彼のご祈祷をすることになりました。ちなみに人形供養と厄除の申込書はそれぞれ違う住所が書かれていました

「男性の拝礼と違和感」

厄除祈願では祝詞を読み上げてから男性へ拝礼(サカキの枝を供えて二礼二拍手一礼するやつ)を促すと、とても丁寧に拝礼をなさいました。ここで少し違和感を覚えたのです
角度の合った礼や大きな拍手は信心深い氏子(神社周辺に住みその神様を信仰する人)の方のようでしたが、それにしては社務所で神社の勝手がわかっていないような言動をしていました。そして、彼からは香水でも柔軟剤でもない、柔らかくも生々しい花の香りがふんわりとしたような気がしたのです。外見や年齢からは意外な香りでしたし、香りの広がり方が自然過ぎてかえって不自然だったのです

もしかして、ある人って占い師じゃなくて霊媒師とか……?と、特にしっかりした根拠もなく思いながら片付けをして社務所へ戻ると、さっきの男性の花の香りが一瞬だけ、強く鼻をかすめた気がして身震いしました。事務室へ入ると、何やら人形を片付けていた事務職員の方が騒いでいます

「お疲れ様です。どうされました?」
「あ、渡莉鴉さん!ちょっとすごいんだよ!」
「?????」

「さっきの人のお人形……」

話を少し聞いて、私は再び背中をゾクッと伸ばしました。恐る恐る、私は台所に固めてあるお人形の袋へ近づきます。何件分かあったので袋はたくさん転がっていましたが、すぐにさっきの男性の人形がどれかわかりました

その袋の中には、なぜかびちゃびちゃと濡れていて、黒いカビに覆われた、首のないお内裏様とおひな様が詰め込まれていたのです


……彼は、人形供養と厄除祈願、それぞれに違う住所を書きました。つまり、彼の住んでいる家と人形のあった家は別にあるということです

ご親戚の遺品整理にしては、いくら何でも人形の状態が悪すぎるような気もします。しかも、箱は少なくともちゃんとしたものでした。五月人形やおひな様を入れる箱は人形とセットのようなものですから、別の人形のものをわざわざ使う必要もないでしょう。すると尚更、綺麗な箱の中に濡れた首なし人形があるのは変な状況なのではないか?

もしかたら私は、とんでもないご祈祷をやっていたのかもしれない。と、神社に飾られているお人形のちりめん模様を見ながら考えてしまったのでした


「ご精読、ありがとうございました。ちなみになんですが、ここからが本番かもしれないです」

大して怖くなかったでしょう?()

霊感のない人が脚色してやっと形になった怪談程度の怖いかもしれない話、と初めに言いましたが、それはそれとして人形は非常に不思議なアイテムであると私は思います。人の形でも動物の形でも、家族の代わりのようにその家庭で生活の中に溶け込む存在なため、人間の生活の中で発されるエネルギーを溜め込みやすいのではないかと思うからです
言霊という言葉はよく聞きますが、それは「人の口から発せられた見えないエネルギー」という概念を認める言葉です。

皆さんは、人形やぬいぐるみに話しかけることはありますか?愛情をもって触れていますか?悲しい時に抱きしめ、涙をこぼしたことはありますか?


私はぬいぐるみが大好きで、自分の部屋だけでも15体ほどいます。私の同居人になってくれている彼らを毎日懇切丁寧に愛でたりはしないものの、私の元へいて不幸でないか、と考えることはあります。手放さざるをえない時、どうしてあげるべきだろう、とも思います

専門家ではないのできちんと説明できなくて恐縮ですが、人形を処分される時はきちんとお焚き上げするのが一番です。「生き物ではない」ことを理由に乱雑に扱ってもいけません。人が生霊や怨霊として気持ちを肉体から切り離せるのであれば、人形の吸い込んできた万物は誰がお方付けしてくれるのだろう?と感じてならないのです


追記

敬愛すべきしいたけ(しいたげられた)先生がひとつの答えをくださいました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?