ゲーム制作において『能動的な姿勢』は結構大事なのかも、という話
こんにちは。
今までノベルゲームを数作出してきて、現在初めてRPGを作っているものです。
作り始めた頃と継続的に完成させられている今ではメンタル面のとらえ方が結構違うので、メモがてら残しておきたく思いました。
『完成する』か『完成させる』か
半ば言葉遊び、かつ精神論的なものなので万人に通じるものではありません。
言い換えるならば完了を客観的に決めるか主観的に決めるか、といったところでしょうか。
作り始めてからの数年はまさに前者の心持ちで、ゲームらしいゲームを作らねばならない、と空回りした結果ハードルのみがメキメキと上がって手を付けられずエタってしまったり。
いやまあ、クオリティを求める段階なら客観的な視点も間違いではないと思うのですが、最初っから素人がプロと同じ心持ちでやってもうまくいくほうが稀なのですよね。
しかもゲームにおいてすごくめんどくさいのが『クオリティが高い』=『面白い』ではないこと。
グラフィックもきれいだしシステムも練られてるのは感じるんだけど……Not for me、というのは毎日世界中で起こっていますしね。
というか客観的な視点を持つだけでゲームが面白くなって完成させられてのメリットだらけなら『ヒットするかは運』なんてことにはならんのです。
娯楽があふれる昨今、コントロールできない外部要因なんてのはあまりにも溢れていますしね。
とはいえ、面白くすることが無意味かと言われればそうでもないし。
おなじく客観視をすることでクオリティが上がる可能性も低くはありませんし。
ただ安定して完成させられるようになるまでは客観的な完成を追い求めるのは自殺行為に近いな、と思った。というお話でございます。
おまけ:ゼロリスクの罠
リスク、マイナスになる可能性、怖いですよね。
創作においてもそれは例外なく。
しかし感情であろうが報酬であろうがなんであろうが、プラスになる可能性を持つものはなんだってマイナスに振れうる、と日々実感しております。
どうでもいいことはゼロリスク上等ですが、本当に成果を得たい・向き合いたい分野ではリスクを負う覚悟というものも必要ですね。
ソースが実体験のみなのでおまけとさせていただきました(テンションが上がりすぎてそのあとグロッキーになるのがつらいです)。
ゲーム制作はいつだって自らが終止符を打てる。そう思うと気が楽ですね。
おわり
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