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読書じゃない読書はあるのか

こんにちは、yukaです。

だいぶ前になりますが、Twitterの読書アカウント界隈で、あることが話題になっていました。

それは、「自己啓発書ばかりをたくさん読むのは、読書じゃないのか?」ということ(というニュアンスのことだったと記憶してます、違っていたらごめんなさい)。

どういう流れでそうなったのかはっきりとはわからなかったのですが、どなたかが上げたツイートが元になって論争が巻き起こっていたようですね。

このことについて、いまさら感は半端ないですが、私が考えたことを少し書いておきたいなと思ったので書いてみます。あくまで個人の意見です。


❁読書の定義とは

この話題について、わたしが言いたいことは一つ。

別にいいんじゃないかな、みんながそれぞれ好きな本読めば。


というのも、何を読むのが読書かなんて決まっていないと思うからです。

読書=小説を読むこと、ではないし、読書≠自己啓発書を読む、でもないと思うんですよね。

誰もがそれぞれ、読みたい本を読んでいいし、それを読書と言っていいと、わたしは思います。


世の中の一部の風潮として、自己啓発書のような本はいわゆる「意識高い系」が読むもので内容が薄いとか、読んだ気になっているだけとか、そういうイメージが強いというのはあるかもしれません。今回のことも、そういったイメージが先行して、話題が大きくなったのかな、と思っています。

もしかしたら、そういう内容の薄い本も中には存在しているのかもしれない。けど、わたしがたまに読む自己啓発書には、ためになるものがたくさんあります。そもそも内容が薄かろうがなんだろうが、読書であることに変わりはないと思うんです。何が上で、何が偉いとかない。

何をどれだけ読んでたら読書なのか、なんて誰も決める権利はないし、自由に好きなものを読めばいい。

わたしはそう思います。


❁自分の読書は自分が決める

わたし自身も読書好きを自認していて、そういう方向で発信をしています。ですが、わたしはあまり古典作品や海外文学をあまり読まないので、そういったジャンルをよく読む人からしたら、わたしは全然読書家ではないのかもしれません。

こういうのって、上を見たらきりがないですよね。わたしよりたくさん本を読んでいる人はたくさんいるだろうし、わたしが読めないような難解な本を平然と読みこなす人もいるだろうし。

これに関連して、読書マウントについても話題になっていたようですが、これについてはまた別の機会に。ちなみにわたしは、マウントとろうと思ったことも、とられたと思ったこともありません。

他の人と比べたり、許容範囲を狭めたりしないで、それぞれが自分の好きなように読書すればいい。わたしも、他の人のことを自分の価値基準に当てはめすぎないように、日々自分を戒めています。


そんなことをふわっと考えたので、書いてみました。

それでは今回はこのへんで。

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