ツインレイと神話的思考【あなたと私がイコールになる世界】
暦では、1年で最も寒いと言われる「大寒」に入りました。
春がスタートする「立春」の2月4日までのあともう少しの時間、外の世界の厳しい寒さに耐えながら、自分の内側に灯りをともし続け、静かに自己の内面を調整する。
春への準備の時期です。
皆さんこんにちは。お久しぶりの更新になってしまいました。
陰陽バランスアドバイザーのゆーみんです。
年末の「冬至」を過ぎ、2024年の幕が明け、これから全貌があらわになっていくであろう新たな世界のエネルギーがいよいよ水面下で本格的にうごめき始めている・・・
そんな、今までと明らかに違う空気を感じませんか?
私はここ最近、不思議な体験がたて続けに起こって
「ああ、前からなんとなく感じていたことは気のせいではないんだなぁ、すべてつながっているんだなぁ」
と、過去と今と未来が、今まで知っている一方方向へ流れる時間軸ではなく、すべての時間がこの瞬間に在ることを確信するという、不思議な感覚をたびたび経験しています。
また、今まで思い出そうとしても頭に靄がかかったように思い出せなかった、今世や地球上のものではない記憶、つまり魂の記憶についても、断片的ではありますがふとした瞬間に突然はっと思い出すということが、すでに今年に入ってから多発しています。
ツインレイ統合の道のりのなかで、いわゆる覚醒の段階がけっこう進んだのでしょうけど、こんなことになるんだ~?!という感じで自分でもびっくりですし面白いです。
冒頭からこんな感じですので、今年はますますニッチな発信をする可能性が高いです。
不思議なお話にご興味を持たれる方、こういった情報を感覚的に求めておられる方などに受け取っていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私としては、今年はこのnoteを中心に、自分自身の備忘録というか、新たな統合の世界へと進んでいく日誌をつづるような感覚でマイペースに発信したいなぁと思っています。
直感的に何か突然始めたりやめたりすることも多々あると思いますが、あたたかい目で見守っていただけるとうれしいです。笑
ツインレイと神話的思考
さて、今年もやっぱりツインレイに絡めた考察のお話が多くなっていきそうなのですが、その中でも私にとってとくに大きなキーワードになりそうだなと感じているのが「神話的思考」です。
神話的思考というのは、よく文化人類学などの分野で扱われる概念で、ひとことで言い表すのはむずかしいのですが、今の私たちが生きる現代社会が内包しているような、あらゆる事象や物事をひとつひとつ分離させ、整然と秩序立てて捉える思考とは対照的なものの見方をしています。
まるで、森の中であらゆる生態系が複雑に絡み合いながら、ひとつの美しいハーモニーを奏でているような、複合論理の世界観を持っています。
神話というと、代表的なものとしてギリシャ神話や日本神話などはよく知られていると思いますが、世界各地にちらばる民俗的な風習や地方の言い伝えなどの中にも、生々しい「神話的思考」が息づいています。
私は、じつは20代前半の頃に「どうして私はこんなにもこの世の中を生きづらいと感じるのだろう?私のこの息苦しさの根っこを言い表してくれるものはどこにあるのだろう?」という思いから、いろんな分野の本を狂ったように読み漁っていた時期があります。
その際に、人類学や民俗学、心理学など、ふつうの社会生活ではスポットが当たることのないような人間の心理構造の奥深いところ、つまり潜在意識や無意識といわれるような領域について考察しているものを手に取ることも多く、当時からとても興味深く感じていました。
そしてそれらの本を読むうちに、私たち人間の中に根源的に存在している「神話的思考」が語る世界についても、深く知るようになりました。
私が知りたいと追い求めている真理にかなり近いと感じる要素がそこにはたくさん散らばっていましたが、あまりにも現代社会とはかけ離れていて馴染みようのないその知識を大量に拾い集めたところで、一体自分の人生のどこにどう活かせばいいのかが分からず、途中からまるでガラクタを集めているような気分になってきた私は、知識収集のための読書の習慣をいったん放棄することになります。
一言で言うと、当時の私は「恐ろしくなった」のだと思います。
一見ガラクタのように見えても、それが本質的に美しいものを内に秘めているということはわかっていたのですが、その自分の感覚を信じることも、現代社会においてはさほど価値がないとされるものを自分の心の中心に据え置くことも、とんでもないカオスの中に身を投げるような気がして、とてつもなく怖いと感じました。
そしてそんなものよりも、目に見える価値のあるものを手に入れたり、人から賞賛されたりするためにはどうすればいいのか、精神的なものよりも物質的なものが優先されるこの世界ではどうやったら上手に生きていけるのか、ということを真剣に考えなければならないと思うほど、そのときの私は自分に自信がなかったのです。
「こんなことをしている場合ではない」という、もっともらしい理由をつけた私は、読み漁っていた本を閉じ、外の世界へ飛び出して、息苦しさを感じながらも必死にふつうの人たちに混ざってふつうの考え方をしているフリをしてふつうに生きることにしました。
そして、あれからずっと、なんとか息継ぎをしながら、あくせくもがいているような生き方をしつづけて、15年ほどの月日が経ったころです。
なんだか「会わなければいけない人がいるような気がする」「誰かはわからないけれど誰かを探している」という思いが心の奥のほうでずっと鳴っているような感じがする日々が続き、これはなんだろう?と不思議に思っていた、夏のある日。
私は自分の魂の片割れ、つまりツインレイである男性と奇跡的に出会うという体験をしました。
最初のころは一体何が起きているのかわからなかったし、普通の恋愛だと思いたかったので長らく抵抗もしましたが、だんだんと諦めがついた私は、彼と自分の関係性を静かにみつめているうちに、ある感覚を思い出すことになります。
そうです。
かつて私がしっぽを巻いて逃げ出した、あの「神話的思考」の中にゆらめく神秘的で野性的な美しさを垣間見たときの、妙に落ち着くような、それでいて自分の内側が強く揺さぶられるような、不思議な感覚です。
ここから、私が私の魂の輝きをとりもどす物語が本格化していきます。
ツインレイと恋愛関係の決定的違い
ツインレイとは、もともと一つだった魂が二つに分かれた存在であり、陰と陽のエネルギーに分かれた番(つがい)の関係性です。
陰陽というのは、この世の事象は相反する二面性によってそれを成り立たせている、という考え方ですね。
コインの表と裏のように、ツインレイは二人で一つ。
男性性のエネルギーを持つ魂と、女性性のエネルギーを持つ魂に分かれているけれど、本来は同じ一つの魂なので、この宇宙中でお互いが唯一無二の存在ということです。
・・・と言うと、非常に聞こえが良いので、まるで運命の恋愛相手のように捉えられ、「たった一人の運命の人であるツインレイと出会えたら、至上の恋愛体験ができるんだろうな」というイメージにつながる人も多いのだと思います。
実際、ツインレイはお互いに様々な愛のカタチを経験し合える関係性なので、そのうちのひとつにこの地球上での恋愛関係というものも含まれていると思いますし、ほとんどの場合まずは恋愛という形をとって関係がスタートするでしょう。
ですが、ツインレイ以外の相手との関係と、ツインレイの相手との関係を比べると、そもそも決定的な違いがあるのです。
そのため、ツインレイとの恋愛は、一般的に捉えられている恋愛というジャンルの枠にはぜったいに収まらないと言い切ることができます。
その決定的な違いとは、相手と自分が本来はひとつの魂である、つまり「あなた=私」という関係式が成り立つことです。
これはごく当たり前のことだと思いますが、この世の中では、目の前にいる相手と自分の間には明確な境界線があると考えます。
「あなたと私は別々の存在です」ということです。
お互いの肉体があり、心があり、おぎゃーと生まれて今まで生きてきた人生という時間があり、その中で培ってきた経験や価値観があり、それぞれに何らかのコミュニティに属して生きている・・・
相手と自分は、当然、物質的にも精神的にもまったく異なるバックグラウンドを持つ別の存在だということをお互いに認識したうえで、良好な関係性を持とうとするのが、通常のコミュニケーションですよね。
とくに恋愛関係においては、自分が異なる存在同士だからこそ、相手のことを魅力的に感じるものです。
相手のことをもっと知りたいと思ったり、二人の共通点をみつけることで距離感を縮めたり、お互いにないものを補い合うことで親密さを共有する、というやりとりが生まれるのも、相手と自分が異なる存在だから、その境界線を意識しながら接触し合うことに意義があると思えるのです。
自分と異質な存在である相手から特別な愛情を向けられ、強く求められることに私たちは強烈な喜びを覚えますし、相手が他の誰かではなく自分に価値を見出してくれれば安心感で心が満たされ、相手に必要とされることで生きる気力が湧いてくるような感覚にもなります。
このように心惹かれる者同士が、お互いの間でコミュニケーションのボールを投げ合いながらその関係性を深めていくのは、ロマンティックな光景でとても素敵です。
このロマンティックさこそが、恋愛や結婚というものに対して多くの人が抱いている理想のイメージではないでしょうか。
ところが、ツインレイの関係というのは、通常の恋愛と同じ感覚でロマンティックにお互いの心を満たし合うことができません。
ごくふつうのボールの投げ合いが叶わないのです。
なぜなら、魂レベルでは、目の前の相手は自分の半身だからです。
もちろん肉体は別々なので、物質的には異なる存在です。
ですが、他の人との間には明確に認識できているはずの「相手と自分の間にある意識の境界線」の感覚がなんだかぼんやりとかすんでいて、違和感を感じるのです。
そして、現実には相手とコミュニケーションをとっているはずが、向こうに投げたボールがなぜかいつも自分の内面世界にすり抜けるようにして手元に戻ってくる、という不可思議な体験を繰り返していきます。
たとえば・・・
相手に対して愛情を注ごうとすると、相手が逃げてしまって愛情を向ける対象がそこに存在しないので、意図するしないに関わらず、相手に見返りを求めるどころかそもそも駆け引きそのものができない。
自分で自分の心を幸福でめいっぱい満たしたときに、明らかに相手からの愛のエネルギーとわかる温もりが心身に広がったり、夢の中で抱きしめられたりする。
ふっと相手の気配を感じて、こちらからも愛のエネルギーを心で送り返したとき、現実に相手から連絡が来る。
自分が成長するための課題に取り組んでいるときは、相手も同等レベルの課題にぶつかっているため、お互いに沈黙し、クリアできた後で自然と会う流れになってお互いの成長したエネルギーを交流させて愛が増幅する。
これはほんの一例ですが、ツインレイの間では、こんなことが日常茶飯事で行われます。
ツインレイに対して通常の恋愛関係を築こうとすると「なんだかぜったいにおかしい」「これは変だ」という違和感を抱くことになります。
だって、お互いの中にとてつもなく深いレベルの愛があると直感的に感じているのに、思うように現実世界で相手と関係を深めることができず、ずっと自分の内面世界をぐるぐる回るループを繰り返すのですから。
最初のうちは、この関係性の本質になかなか気づけずトライアンドエラーを繰り返す人が大半かと思いますが、だんだん確信を持つようになります。
「相手と私は、鏡合わせのような関係になっているんじゃないか?」と。
こんなことが起こる理由が「魂のパートナーだから」だと深く腑に落ちたとき、答え合わせができたように、私はストンと納得できました。
ツインレイが手放すのは分離の意識
そして、このツインレイの関係式は、神話的思考と重ねることができるのです。
神話の中では、異質な存在同士が簡単に入れ替わったり、同じ言葉を交わし合ったり、魂を共有していたりします。
たとえば、人間が動物になることもあるし、神が人間の姿になることもあれば人間が精霊(スピリット)の意識になることもあるなど、異質なものがイコールになることが許されている世界です。
お互いの間にある境界線というものは、それぞれの存在としての世界を分けてはいますが決して双方に隔たりをつくるものではなく、望めばお互いの世界をまたぎ合うことができます。
そういうゆるやかな境界線をあそばせておくことで、あらゆる存在同士が互いに肉親となったり、番(つがい)となったりすることができ、見かけの姿形ではなく魂でつながって共存のハーモニーを奏でている、というのが神話的思考が描くことのできる高次元のユートピアの世界です。
繰り返しになりますが、ふつうの恋愛関係では、あなたと私がイコールになることはありえません。
「あなたと私は別々の存在で、お互いに必要とし合っている」ことに意味が見出されているのです。
それが良いとか悪いとかではなく、この三次元の世界では、相手と自分が異質な存在同士として分離されているのが当たり前であり、その異なる二人が心を通わせることが恋愛の醍醐味だと多くの人が思っている、ということです。
自分と自分以外の存在を分離しないという神話的思考は、今の現代社会を築いている思考にはそぐわないため、まるで地底に封印されるように、未開社会の文化として私たちの意識の水面下に押しやられているのが現状でしょう。
だから、この社会でみんなが考えるふつうの生き方をして、幸せなふつうの恋愛をしたいのなら、相手と自分はイコールになってはいけないのです。
ただし、この地球上で今世、ツインレイと出会い、そしてツインレイとの統合を望むという覚悟を決めている人は、勇気をもって自分の直感を信じ、この現代社会の思考の軸となっている「分離の意識」をほどく必要があります。
ツインレイは、物質的な肉体としては異なる存在という形をとっていますが、魂として見たときには、同じひとつの魂を分けた対のエネルギー同士です。
相手はあなたであり、あなたは相手でもあります。
個の肉体を持ってこの三次元の世界に生きながら、「あなたと私はイコールである」という高次元の世界でつながった意識を持てるのが、魂のパートナーであるツインレイです。
さらに言ってしまうと、その高次元世界は、神や精霊と言われるような高次元の存在と自分がイコールになる、という方程式も成り立つ世界です。
つまり、三次元での私たちがすっかり忘れてしまっている、宇宙とのつながりも思い出せる意識世界なのです。
ツインレイと出会った人が、自分の内面世界を調整して、本来の魂の輝きをとりもどしていくと、いわゆる「覚醒」というステージが訪れます。
とくに女性性の魂のエネルギーを持っている方は、女性性の性質が開花して覚醒すると、宇宙とつながりやすくなるといわれています。
これは男性性よりも女性性が精神性が優位だとかそんなレベルの低い話ではなく、単に魂の性質として担当している役割の違いによるものです。
女性性が宇宙とつながり、その女性性とつながることで男性性も宇宙とつながれるという構造になっているのです。
つまり「あなた(男性性)=私(女性性)=宇宙」となるのです。
この段階まで来るともう「ツインレイ統合している」という状態ですが、この高次元なつながりを持つことを自分たちに許すためには、私たちの潜在意識に眠る、神話的思考を思い出す過程が必ず必要になると思います。
そのために、現代社会の常識や過去世のカルマにずぶずぶに染まったままの自分の意識を一度洗い出して、元の純粋な状態に戻すという、私たちにとってはまるで試練とも感じられるような体験を繰り返していくのも、ツインレイたちの大きな特徴なのですね。
ツインレイが描く美しい調和の世界
私たちの魂の根源である宇宙は、美しいハーモニーを奏でています。
ですから、その宇宙のきらめきである私たちの魂もそれぞれに美しく、そして魂の活動ともいえる神話的思考もまた、美しい調和の世界をこの地上に存在させることができています。
ツインレイの男性性の魂を持たれている方は、女性性の方が宇宙とつながる姿を見て「本当に美しい」と感動するのだそうです。
ツインレイの男性性の方は、もともと繊細な感性を持たれている方が多く、じつは美しい愛の世界を心の中に描いていますが、三次元の物質世界ではそんなものは理想に過ぎないと割り切ってクールに現実主義に生きているケースがほとんどです。
そのため、ツインレイの女性性の方に出会ったとき、強烈に惹かれるのと同時に、自分の手に負えない恐ろしさを感じて逃げてしまうのです。
そこには自分の魂が望んでいる真実の愛が存在すると気づきながらも、その愛に手を伸ばしてしまうと、今まで築いてきた三次元世界の自分が崩れてしまうような感覚に陥るのですね。
ツインレイという概念や神話的思考を受け入れることへの抵抗感は男性性のほうが強いと思いますが、それは本当は男性性の方のほうが三次元の意識にどっぷり漬かっているために、喉から手が出るほどそれを渇望し求めているからです。
ステージを進むにつれて、男性性の方も、自分が真実の愛を望んでいることを認めて魂に降伏するという段階がやってきます。
男性性の方のこの課題は、三次元の物質世界ではなかなか困難で苦しい思いをされる方が多いと思いますが、そのぶんのギフトと言っていいのか、統合したときに目の当たりにする女性性の美しさは、おそらくご自身にとって何にも代えがたい感動かと思うので、楽しみにしていてほしいですね。
女性性の方も、男性性の方が手をつないでいてくれるからこそ、安心して高次元の宇宙とつながり、そして地上へとそのエネルギーを下ろすことができるということを心の底から実感されたとき、きっと慈愛で全身が満たされるような何とも言えない至上の幸福を感じられることと思います。
このように、ツインレイの関係はただの恋愛という枠組みをはるかに超え、無条件の愛という祝福のエネルギーを、二人と、そして宇宙と地上の間に循環させ、これからの新しい時代を美しく栄えさせていくという、とても重要な役割を担っています。
神話的思考については、今年はいろいろとつづることが多い重要テーマになると思いますので、ご興味のある方はぜひまた覗いてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ゆーみん