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生まれ持った個性を一人一人、大切にしていけるといいな、それはきっと調和
ごめんなさい。こんな私で。
悲しみが起こる度に湧いてくる罪悪感。
私が私で在るから悪いんだと自分を責める。
そんな気持ちの始まりは、いつだったのだろう。
幼き日の愛情の受け違い?
大人ぶったり平気なふりをしてきたつけ?
人間関係の傷?
きっと小さいようで大きい、心に残った出来事の積み重ね。
そして集合意識みたいなものがあるとしたら、
もしかすると大人も子どもも、社会も、日本も、自分を責めていたんじゃないかな。
自己肯定感が低い、日本人はそう言われることがあるみたい。
それが昔から続いている価値観なのだとしたら、
幼い日の、身近な人たちに囲まれる小さな世界で、
”私は私”という自己肯定が難しかったのかもしれない。
これまでの多くの大人はどこか模範的。”社会で言われている常識を守る”ような大人。
それはきっと素晴らしい事で、それでもやっぱり”社会の中の私”という客観的な価値観が優位になる中で、一人一人が生まれ持っている個性をも犠牲にする側面もあったんじゃないだろうか。
一般的と言われること、
例えば”ごはんをちゃんと食べる”とか、”決められた時間通りに動く”とか、”多数決的な意見が大事”とか、、、
そんなようなことに馴染めなかった分だけ、抑えられ続けてきた個性がある。
それが普通。これまでの普通。
でもこれからは、生まれ持った個性を大切にしていけるといいな。
そんな大人が増えていったら、これから生まれてくる子どもたちもきっと”自分を大切にしていいんだ”と、自己愛を育てていけるんじゃないかな。
”一人一人が違っていい”と、”一人一人が認める”ことができれば、たった一つの個性も失くさなくていいのだと、私たちは気づいていける気がする。
そうやって尊重されていく個性を持つ一人一人が創っていく社会は、調和に溢れる優しい世界。
きっとね。まずは私から。
2022.7.21
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