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【無料記事】丁野朗・小山龍介対談|生活のストーリーとサステナブルな文化

文化庁の日本遺産プロジェクトでご一緒させていただいた丁野先生をお迎えして、地域の魅力を掘り起こすための「ストーリー」についてさまざまな事例ともにお話を伺いました。

この記事では講演に続き、小山龍介との対談をお届けします。(文・山下悠希)

日本遺産は産業のストーリー

小山龍介(以下、小山) 日本遺産の「ストーリー」は、経産省の地域ストーリーづくりが最初なんですね。人々の産業的な営みが、ストーリーの出発点としてベースになっている。

丁野朗(以下、丁野) 最初に行政がストーリーを取り上げたのは、近代化産業遺産群33。私も2年間陣屋をやりましたが、当時のメンバーはNHKの松平さんや「その時歴史が動いた」といった番組の方々で、要は産業の物語をつくろうと。たとえば九州・山口の例の世界遺産なんかは、まさに産業のストーリーそのものなんですよ。

小山 今ファーストフードになぞらえて、景観のファースト化と言われてます。国道沿いにいろんなレストランチェーンが並ぶ写真を見せても、何県なのかも分からない。今回日本遺産をめぐっていて各地域がおもしろいのは、その地域独特の風景が残っているというところがありますよね。

丁野 いわゆる景観計画の中に私が必ず入れてほしいのは、生業(なりわい)景観とか産業の景観なんです。農業の営みの形は、地域によって、みんな違うんです。たとえばわらを干すのに、ちょっとねじって下から風が入るような「ねじりほんにょ」をつくったり、北風が入るところは防風林をつくったり。これもやっぱり、ものづくりの景観なんですよね。

産業のストーリーに文化財が繋がる

小山 日本遺産の場合は、文化財をストーリーで繋げて、最後に産業を巻き込みながらやりなさいという話なんです。けれども、ストーリーの成り立ちは、実は産業や生業が先にあって、生業の中にあるストーリーに当然文化財が繋がってくるという。出発点と出口が実は逆。

丁野 まさに私もそれを感じているんです。和ろうそくで財を溜め込んだ旦那衆がつくった芝居小屋が、愛媛の内子座なんです。だから財の蓄積というか産業が先にあったわけです。文化財がいつから産業と切り離されたかということを、私も非常に懸念しながら日本遺産を見てる。

小山 文化財は守るもので、それを活用するとはいかがなものかと反対する人も当然います。ところが、実際には文化財ができた背景には産業があり、文化財をもう一回産業に繋げることは、むしろ本来の姿に回帰させているとも言えると思います。

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文化財を使って地域を活性化する

小山 文化財を使って地域を活性化するのは、相性が悪いと言われます。そもそも、地域が活性化して文化が生まれてきたのであって、これは実は文化財保護というよりは、地域を活性化する文化創造の営みなんです。

教育委員会の流れの中で、文化財はきっちり残していこうというのは、すごく正しいことです。けれども、一方で文化行政には「文化振興」があるわけですね。クラシックの音楽で誘致していこう、コンサートをやってみんなに音楽の素養を身につけてもらおうとかがあるんですが、実は地域の中で「文化振興」と「文化財保護」が分かれてしまう。

でも、文化の成り立ちからいくと、日本遺産というのは地域が活性化することによって生まれた文化が百年後に文化財と認められるという、大きな循環をつくっていくことなんでしょうね。

丁野 そうだと思います。この4月から法改正に基づいて、いわゆる文化観光という、地域の歴博とか美術館などのミュージアムを拠点に観光のプログラムを組み立てる事業が動いていくんですよ。町中のミュージアムを、インバウンドも含めて観光の活性化に繋げていこうということです。

文化を観光に繋げるキュレーター

丁野 学芸員はめちゃくちゃ忙しいので、ミュージアムを観光含めた活用で使っていくときに、文化や観光をちゃんとマネジメントできるような「キュレーター」とか新しい職業がいるんです。そういう新しい職業や立ち位置で文化をインタープリテーションしながら、観光やほかのものに繋げていく。そこは非常に私も期待をしてます。

小山 キュレーターが依拠するべき地域の文脈が、やっぱりストーリーだと思うんです。ストーリーという文脈を理解した上で、新しく生まれてきてるもの、今まさに創造されてる文化を見つけて世に出していくという作業が必要ですね。でも、キュレーターって、どうやって育成すればいいですかね。

丁野 たとえば自治体で、最近はいわゆる文化財部局の人を市町部局に打ち替えて、やがては観光に持ってくるという人事が非常に増えています。地域のしっかりした文化財や歴史を踏まえた上で、観光その他に活用するプログラムをつくっていく。この4月の異動でも、文化財の核になってた男が4月1日から観光課長とか、もうめちゃめちゃ拍手を送ってるんです。

文化が観光との関わりで変化する

小山 研究の中では「観光文化」というひとつの分野ができつつあります。観光はある種人間の営みなんで、観光の仕方もひとつの文化なんですよね。観光客の関わりによって、文化自体が変わっていく。

たとえばバリのダンスは、宗教儀式だったものが観光客に見られるようになって演出が変わる。今まではさらっと流していたところで、決めのポーズを3秒ぐらい取ると拍手が起こる。

保護する立場からすると、変わってしまったというんですけれども、観光という関わりによって文化をさらに洗練させているということもできますね。そういう視点で観光が語られると、もっとおもしろい。

丁野 そもそも観光は、お伊勢参りとかに全てのルーツがあるわけですよ。御師が、ガイドブックをつくって実際に江戸に来てプロモーションをして、実際にガイドをして連れてきて御師の宿で泊っていただいて食事を提供して、しかもどんちゃん騒ぎまでプロデュースして土産などを持って帰っていただくと。これをひとりの事業体が全部やってたわけですよ。これってひょっとすると、観光のコングロマリットじゃないかというふうに思いましてね。令和のこの時代に、小さくてもいいから、こういう全てをマネジメントしていくことができる企業ができてくる可能性があります。

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千年前からのサステナビリティ

小山 高松でオリーブを栽培している方が、自分が亡くなった後、百年後にどんな景観にしたいかという計画のもと、自分は事業をやってるんですと言ってたんです。今現在地がここで過去にはこういうことがあって、今このストーリーですというふうに、百年後の未来に繋がるストーリーというのが本来的にはあると思っていいのかなと。

丁野 われわれも、それが欲しいと思ってるんですよ。たとえば冒頭にお話しをした奥出雲の鉄づくり千年。山林地主は、1年間で使う木炭をつくる山の面積の30倍の面積を持っている。木というのは30年で育つので、ぐるっと回してもまたもとに戻る。山砂鉄を取るときは、山を崩して水を流しながら泥を流す。その泥を横に全部平らに整地をして棚田をつくり、新しい生産基盤にして出雲蕎麦をつくる。

このストーリーで言いたいのは、過去千年やってきたと。これから千年でも続けられるような地域をつくるんだというメッセージが込められているということです。

小山 今どきの言葉で言えば、サステナビリティが組み込まれている。

丁野 まさにね。それを千年前からやっているわけです。

小山 そういう意味では日本遺産に認定されたストーリーを、サステナビリティという観点からもう一回洗い出すというか検証し直すというのも、おもしろいですね。1年に観光客が何千万人という目標の中で、ピンポイントの観光活用もあるんですけど、本来的にはサステナブルな活用が必要ということですよね。

丁野 それは、なかなかおもしろい視点ですね。日本遺産の数が今83でやがて100になりますから、いろんな意味でストーリーを別の観点から検証していくというのは、あるかもしれません。

小山 サステナビリティは、今新しく出てきたように見えても実は昔から考えてきたし、むしろ昔の人のほうが、自分の孫にどういう環境を残していくかを非常によく考えていて。たとえば古民家ひとつ、つくるにしても、昔は子孫もずっと使ってくからというので、すごくそこにお金をかけて、何百年も残る家をつくってきました。

館林の沼辺文化のキーワードは「里沼」

丁野 今のサステナブルっていう話は、いろんな地域がそれなりに意識をしてるかなと思います。去年の日本遺産を取った館林のキーワードは「里沼」なんです。里山、里海っていうのは、皆さんよく聞いてると思うんですが、里沼というテーマで日本遺産を出した。

館林は大きな沼が3つありましてね。この沼が、まさに生業と関わりながらずっと持続されてきたし、これからも館林にとっては非常に大事なんだということを書いたストーリーなんです。

3つの沼のうち「祈りの沼」というのは、ぶんぶく茶釜の寺である茂林寺の沼です。この沼は、やっぱり宗教空間として大事だから残そうというので残した。「守りの沼」は館林城に要害をつくって守るための沼であると。もうひとつは、周辺に麦畑をぶわーっと植えた「実りの沼」で、日清製粉の発祥の地なわけです。

これからも変わるかもしれないけれども、私たちにとって沼というのは、これから百年も二百年もずっと暮らしの中で生き続けるんだというストーリーを書いている。これもある意味サステナビリティですよね。今日はいい宿題をもらいました。

長いスパンで軌道に乗る文化財の保存活用計画

小山 行政の時間軸と観光の時間軸、直近のビジネスの時間軸が、それぞれにずれている中で、実は日本遺産のストーリーは、ある意味みんなの時間意識を整える役割があって。

古民家を潰して新しく家を建てれば快適だし、国道にはチェーンのお店をつくればそれがいちばん楽なんですけど、何千年という単位で見たときに、実はそれは自分たちの町を壊してしまう可能性もあると気づかされるんでしょうね。行政的には、単年度予算で1年1年やっていくんで、なかなか長期的なスパンで計画するのが難しい。

丁野 景観計画は非常に時間がかかるし、文化財の保存活用計画も、きちんと軌道に乗るのは10年、20年あるいは30年というスパンなんですよね。いわゆるブランドと呼べるような観光地は、おしなべて30年かかってるんです。高山にしても湯布院にしても、大体30年。

今日いちばん最後にお話ししたのは、活用の出口をあまりにも限定しすぎるということは、よくないんだと。むしろいろんな可能性を、地域やいろんな部局がきちんと議論をして、いちばん強いものを伸ばしていくと考える。そのほうが、活用に関していうと効果が出やすいんじゃないかということなんですよね。

地域が文化を醸成し文化が地域のリソースになる

小山 観光にしても産業にしても、地域の文化がより豊かになることが、ある種リソースになっていくことだと思うんですね。日本遺産を文化庁がやってるということの意味も、そこにあるかなと思います。

今は、本来独自の文化を築いていたはずの地域のどこへ行っても、リトルトーキョー的な同じ店舗が出ていって。昔は藩という単位で、行き来もできなかったところがあって独自文化を整えたという政治的な状況もあったとは思うんですけれども。改めて、地域が文化を醸成するためにはどうしたらいいんでしょうかね。

丁野 もっと身近なところにあるのかもしれないなという感じもしてましてね。答えになってるかどうか分かりませんけど、私はどっちかというと、地域の中の新しい産業とかが出てくる土台みたいなものを追っかけてるんです。

先々月、やはり日本遺産を取ってる高岡に行ったら、能作さんが、鋳物の昔ながらの工程を見ていただこうという「鋳物ファクトリー」みたいなやつをつくっていて。2年で大成功を収めて、今すでに17万人の人が来るようになっています。

産業観光という、つまり人に見せることによって収益が上がっていく。レストランもあるし土産物もいっぱいあるんです。そうして利益を上げることが、どっかで地域に還元されて地域の嵩上げになるという仕組みができると、とっても素晴らしいですね。

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地域で当たり前の文化が外から見るとおもしろい

小山 非常におもしろいのは、今、観光出口だけじゃだめだという話にはなってるんですけど、実はでも観光は、ある種外からの目線なんですよね。高知県のゆずの畑も今回日本遺産になって、ゆずの畑が美しいんだというストーリーになったことで、ちょっときれいにしとかないととなっていく。

そういうふうに、日本遺産や観光によって外の目線を意識して、改めて自分たちのよさに気づくという出発点がまずあります。今までは無意識のうちに当たり前に思い、特別だと思ってなかったものが、実はほかから見ると「それおもしろいよ」と。

丁野 それはありますね。

小山 僕は、文化創造という言葉を言ってたんです。みんなが当たり前だと思ってたけど実は外から見るとおもしろいものが、ストーリーの中でちゃんと位置づけられる。文化のキュレーションですよね。その後に百年を考えて、そこからさらに文化の再創造というプロセスなのかなと思いました。

丁野 なるほど。ゆずの話はね、私も地元なんですが、昔は森林鉄道があったけど結局トラックで運ぶようになって鉄道が衰退した。さらに東南アジアから安い木がどんどん入ってきて、木材がだめになった。みんな「どうする、俺たち食えなくなったよね」と。

実は中岡慎太郎が登山の振興策の中に「ゆずを植えろ」と書いたくだりがあるんですよ。それでゆずを植え始めて、結局、国内の今のシェアの6割を占めるようなゆずの産地になったというストーリーなんです。

日本遺産を取ったときのシンポジウムに行ったら「みんなの日本遺産」て書いてある。私感動しましてね。それはどういう意味かというと、土佐弁でいうおんちゃん、おばちゃんがゆずを植えるという営みが、日本遺産なんです。おんちゃん、おばちゃんも日本遺産。村の人たちはプライドを持ったんですよね。だから、なんか自分が日本遺産に認定されたみたいに思ったわけですよ。

小山 本当にそういう意味で、今までそういうのがすごいと思ってなかった人たちに、実はすごいんだという外の目線で価値が発見されて。たとえばゆずを使ってこんにゃくづくりのワークショップをやると、都市化された中でそれがすごい新鮮で、子どもたちが喜んでつくって食べて帰ってく。

実はゆずを使ってゆずこんにゃくをつくるというのが、ひとつ文化であるという。やっぱりそういう意味では、営みや生活文化を含んだストーリーで。何も国宝とか重文を繋げて拠点めぐりというストーリーじゃなくて、営みが織り込まれていることが重要なんですね。

文化財は使いながら守る

丁野 そうですね。今日の結論かもしれませんね。営みが文化をつくってきたと。道後温泉なんてのはね、重要文化財ですよ。でも、みんなすっぽんぽんで入ってる。

小山 確かに(笑)。

丁野 昔からずっと入ってるわけです。だから、改めて文化財だから入るなとは誰も言わない。そういう意味でいうと、文化財を守りながら使うって、道後温泉モデルじゃないかって思ったんです。

小山 国分寺が、国からの命令で各国に1個ずつつくったけれども、結局使われなくて30年経つともう廃墟みたいになっちゃったんですよね。

丁野 残念ながら、そうなんです。

小山 地元の信仰の対象のほうがよっぽど、何百年、何千年と続いている。やっぱり活用というのは保護と表裏一体で。そういう意味では、もう一回そこのリンクを繋ぎ合わせるのが、ストーリーの大きな役割なんでしょうね。

丁野 国分寺は私も気になってましてね。もう一度地域の違った意味のシンボルに使いたいなと。高山という町は、農業や林業で財をたくさん取るという周辺環境に支えられて、重伝建の町の中で酒をつくり、わっぱつくりという生業が成り立っていた。

そのシンボルが実は国分寺にあるようなエリアで、生業がどんどん郊外に移転している。周辺の緑や生業があったから都市ができたわけで。その関係をもう一回取り戻さないと、おかしなことになりますよね。

小山 そうなんですよね。だから、そういう意味では本当に生業と一回リンクさせると。表面的な、活用なのか保存なのかという議論じゃないところの根幹が実はそこに繋がってるんだということを、議論にしていかないといけないですね。

丁野 そもそもが、保存か活用かという二項対立的な立て方自体が、ちょっと変なのかもしれないですね。そういう議論を延々とやってきたわけです(笑)。

小山 そうですよね(笑)。

丁野朗
東洋大学大学院国際観光学部客員教授・文化庁日本遺産審査委員

1973年3月同志社大学卒業
1973年同志社大学卒業後、マーケティング及び環境政策のシンクタンクを経て、1989年(財)余暇開発センター入所。
2002年に(財)社会経済生産性本部へ移籍。「ハッピーマンデー(祝日の月曜日指定)制度」の創設やサマータイム制度、バカンス制度などの提唱と実現化に係る事業推進をはじめ、産業観光などの地域振興事業、『レジャー白書』の編集・発行事業などに携わる。
2007年に「観光地域経営フォーラム(事務局・日本生産性本部)を創設。
2008年に(社)日本観光協会(現:(公社)日本観光振興協会)に移籍。
その後、ANA総合研究所シニアアドバイザーなども務める。

*その他主要履歴
2008年より日本商工会議所観光専門委員会学識委員
2010年より関東運輸局観光アドバイザリー会議座長
2015年より東京商工会議所地域魅力づくり委員会委員長
2015年より文化庁「日本遺産」選定委員 など

*自治体関係
高知県観光アドバイザー、広島県呉市顧問(観光アドバイザー)、新潟県十日町市、神奈川県小田原市、宮城県栗原市など多数の自治体で観光アドバイザーなどに就任。

*大学関連
法政大学キャリアデザイン学部講師、多摩大学大学院客員教授(地域ビジネス)、東洋大学大学院客員教授(観光まちづくり特講・演習)

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